これまでも児島湾干拓は岡山藩主らにより断続的に行われてきたが、海潮が運んでくる泥土は日に半紙一枚の厚さ、一年でその沖積は半紙一束にすぎない。
藤田組第一期工事としては、周囲延長30キロメートルの海岸に防潮堤を築き、これに十数か所の排水樋門を設けて潮の干満により泥砂を沈殿させ、最後に潮止工事を完成して1800ヘクタールを干拓しようとするものであった。
明治三十二年五月着工、軟弱地盤の苦闘しながらも、第一区三十八年、第二区を四十五年に完成、藤田農場としてわが国干拓地農業の改善と農業機械化に大きく貢献した。
児島湾干拓地(現在)
藤田神社(大正6年建立)
彦崎川底樋木管曳航敷設
スレッシャー(明治40年代にイギリスから輸入)
児島湾古図
水門(現在)
汗入川用水路掘下げ工事
児島湾藤田農場の錦農区収納作業所
児島湾開墾事務所と産米搬出
1959年児島湾締切堤防竣工記念切手