このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)
なるほど法話 海 潮 音
科学 第5話 病気を診て病人を診ず
「病気を診て病人を診ず」という言葉をときどき見たり聞いたりします。お医者さんが患者さんの病気は診るが、その病気で苦しんでいる患者さんの心は診ないという意味かと思います。
近頃のお医者さんは薄情だから、こんな風に言われるというのではなくて、そこには別の理由があるようです。今回はその理由を考えてみたいと思います。
聖路加看護大学学長の日野原重明先生は、『現代医学と宗教』(岩波書店)の中で、「戦前は今日用いられている医療という言葉よりも医術という言葉が普通に使われていた」けれども、この「病む人間を理解し、病む心をいたわり大切にした医療行為の術であるという証しの、医術という言葉が消え、戦後日本では科学主義をもろに打ち出す医学に変わり、医学はさらに医科学とも呼ばれるに至った」と述べておられます。
即ち、医学が医術と呼ばれる時代は、病む人間の心を大切にしていたけれども、医学が自然科学の一分野になってからは、病む人間の心をカットしてしまった、ということかと思います。
そのようになった理由は、自然科学の基本構造、即ち、デカルトによる観察主体(人間の心)と、観察対象(心的要素が排除された単なる「もの」)との分離によるのでありましょう(科学 第3・4話「自然科学とは何か」上・下参照)。
そうすると、自然科学の一部である現代医学を担うお医者さんとしては、観察対象たる患者さんを、心的要素を排除した単なる「もの」として見る態度を押し通さないと、正しい診察は出来ないという、ちょっと困った理屈があることになる訳です。
科学万能主義である現代は、医学の分野だけでなく、あらゆる分野でこのようなことが起こっているように思います。この科学万能主義に何とかしてブレーキをかけなければならないのですが、そのブレーキをかけるものこそ宗教であろうかと思います。では宗教はどうのようにしてブレーキをかけることが出来るのでしょうか。来月の法話をお楽しみに!(平成12年2月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。