樵屋より眺めた景色は、遠くの山まで白一色。
雪が音を吸収するのか、しーんと静まりかえっています。

家の周囲はショベルカーで除雪をしたものの、真瞬く間に木々や庭を真っ白に覆い尽くします。

宿主の独り言 2009年1月から4月

本当のおしどり夫婦はメジロ?
1月30日 
樵屋の庭に、ピラカンサス、ナンテン、マンリョウなどの実のなる木があります。
 中でもピラカンサスの実が美味しいのか、他の実には目もくれず色々な小鳥たちがせっせと周りを気にしながら実をついばんでいます。
その中でも、いつも仲良くやってくる2羽のメジロがいます。
先日鳥に詳しい方にこの写真を送ったら「メジロの写真、きれいに撮れましたね!メジロはいつも夫婦で行動していますので、この二羽もおそらくつがいでしょう。
オシドリはオシドリ夫婦なんて言いますが、しょっちゅうペアを替えたりします。メジロは本当に仲むつまじく、片方が死んでいなくなるまで、ペアを解消することなく、ずっと連れ添うそうです。」

なんだか意外な事実を知らされた想いと、ほっとする温かさをこのメジロから頂きました。
 

1月28日 久しぶりにHPを大幅に変えました。
 haginetのプロバイダーはメール1つに対して30Mしかない。
増設はできないのかと聞いたら、もう一つの契約分30Mが空いているので、それを使用してくださいとのこと。
別のHPを立ち上げるために空けていたものをやむなく使用することに。
かくして今までメモリー不足からはずしていたページを復活させたり、JICA研修などの写真を多く掲載しているものを移動した。
ところが、場所を移動すると当然画像は表示されなくなり、ソースを開いて画像の場所を入れ替える作業やタグの書き換えが延々と続く。
ソフトの中にはそのような機能があるのかも知れないが、私にはソフトの説明そのものが専門用語が多く理解できない。
ようやく引っ越しを終わったら、約2日間近くもかかってしまった。
 皆さんからは、ださいと言われるかも知れないけれど、結構苦労のたまものでもあり、愛着を感じているHPでもあるのだ。

隣のモミジの枝で一休み

農業を始めるのが、静かなブーム・・・
1月31日 最近の不況で農業を始めるのが静かなブームになっているとか。
あの終戦後、国民を飢餓から救い人口を吸収したのは農村でした。
そして高度経済成長の時は、農村が労働力の提供場所となり、都市への人口流出はつい最近まで続いていました。
今回の不況と併せて言われているのが、日本の自給率を上げることや安心安全な食料を自ら作りたい、環境問題、スローライフの生活など様々な理由があげられます。
すでに行政によっては農業人口の確保にチャンス到来とばかり動き出しているところもあります。
しかし、農業を生業としている私たちから見れば、農業収入だけで家族を養うと言うことは思った以上に大変なことです。
今回の不況が、自給率の向上や農業、農村の担い手確保に、はたして繋がるのか見極めたいところです。
かつての農村のように、単なる不況時の受け皿にならないためにも、将来を見通す事のできるしっかりとした農政を期待しましょう。

ナメコの駒打ち作業

2月2日 久しぶりに暖かい日差しの中、原木ナメコの駒打ち作業をしました。
通常スーパーなどで売られているナメコは菌床栽培といっておが屑に栽培したものが店頭に並んでいます。
この菌床栽培ですと、どうしてもナメコ本来の香りや深みのある味が出ません。
美味しいのはやはり山桜を原木とした原木ナメコです。
ちなみに椎茸はコナラ、クヌキ、ヒラタケはネムノキやエノキ、ヤナギなどを使います。
 今回植菌した木は杉林などに寝かせて、ナメコ菌が回るのを待ちます。
そして、来年の秋には美味しいナメコが、樵屋に来られたお客さんの料理にならびます。
 毎年この時期には、ナメコや椎茸、ヒラタケなどの駒打ちをして、美味しい本物のきのこを食べてもらうために少しずつ更新して行きます。

    間伐作業に同行
2月4日 長男と山へ間伐作業に行きました。
ご存じのように私は車いすです。したがって山に行く時はいつもユンボに乗って出かけます。
脊髄損傷になった時、最初に乗りたかったのはこの機械でした。ほとんどの操作が手だけでできるので、乗ってしまえば後は健常者とほとんど能率は変わりません。
日頃は半人前以下だけに、これに乗った時は本当に仕事のできる楽しさを感じることができます。
 山はここ10年あまり私が怪我をしたこともあって、ほとんど手を入れておらず、間伐が行き届いていません。
仕方がないといえばそれまでですが、どこを見ても真っ暗な状態です。
今日は長男が伐採をして、使えそうな木だけを私が搬出します。
この搬出した木は、製材所に持って行き角材に加工します。
実はこの木で100円市場を立てる予定です。
今まで10数年間使っていた100円市場が、とうとう昨年の秋に壊れてしまいました。
通常なら今回搬出するような木は、価格が安く採算が合いませんので山に捨てなければなりません。
一生懸命に下草を刈り、枝打ちをして大切に育てた木を、切って捨てなければならないのは本当につらいものです。
もったいないこの木材を、もっと活用して行く道を見つけていかなければいけませんね。

    間伐作業パート2
2月5日 昨日に続き間伐に行きました。
ちょっと林業の専門的なことになりますが、この林は今から20年前、40年生の前生樹(10アールあたり8本から10本残存木)の下に挿し木杉(品種シャカインスギ)とヒノキを10対1の割合で混植したものです。
10年以上も手入れをされなかった林は、もやし状態となり将棋倒しとなっていました。
当初の計画だった年次別の収入間伐計画は、10年間の放置で根底から崩れたことになります。
今回は倒れた木をひたすら伐採していくつらい作業です。
わかってはいたことですが、挿し木杉の場合同一クローンですので、この様に適期の作業を怠ると、全滅する恐ろしさを実感することとなりました。

手入れ不足で全滅となり、伐採された挿し木品種

   椎茸の駒打ち
2月6日 我が家の庭で椎茸の駒打ちをしました。
駒打ち作業は上沢さんご夫妻も一緒にやっていただきました。
以前ナメコの駒打ちを一緒にして、植菌した原木を差し上げたところ、ナメコが生えてくるのを見るのは初めてだったらしく、とても喜んでおられたので「それでは作業を一緒にして持って帰ってください」と、今回お誘いしました。
 今回駒打ちしたものは、これから1年半、伏せ込みした上に枝などの覆いをして寝かせます。
平成22年のお盆過ぎから竹林や杉林の下に立てます。この様な場所をほだ場と言います。
そして秋には、肉厚で美味しい椎茸が生えてくることでしょう。
楽しみですね。

ドリルで穴を空け、種駒を打ち込んでゆきます。

2月8日 1年ぶりにヤマドリの雄に出会いました。
日頃は全く山のなか意外では出会うことのない鳥ですが、発情期に入るこの時期になると人里に出てきます。
自分の子孫を残してくれる雌を探し回っているのでしょうか。
大きさはキジと同じくらいで、雄はとてもきれいな鳥で尾羽が長く70p以上もあります。
 随分前のことですが、私の父がバイクで走っていたら、2羽のヤマドリがバイクの前に飛び出したそうです。
雌の方はバイクをよけて飛び去ったのですが、雄の方は雌を追いかけるのに必死でバイクに気づかず、前輪のスポークに頭を突っ込み即死。
当然その晩ご飯はヤマドリの炊き込みご飯となりました。
恋は盲目といいますが、恋いに目がくらみ、自ら命を絶ってしまったヤマドリを思うと、あまりにもあっけなく哀れな最後でした。
ヤマドリに出会うと、何故かその時のことを思い出します。皆さんも火遊びには十分お気を付けられますよう・・・

空き家バンク

2月13日 阿武町には空き家バンクの制度があり、阿武町のHPから入り家の写真や間取りなどを詳しくみ見ることができます。
このページは非常にアクセスが多く、すでにここを見て定住されている方が何組もおられ、今その空き家が足らない状態です。
 人気の原因は、まずは家賃が安いことと、行政の親切な対応、中でも専従に近いかたちで職員が張り付き、現地の案内や定住後の生活などの相談に乗っていることなどもあるのではないでしょうか。
町内に空き家はいっぱいあるのに貸していただけない原因は
1 一度手放したら2度と戻ってこないから、万が一の場合を考えて所有しておきたい。
2 思い出がいっぱい残っていて、家具や仏壇などがあるから。
3 家や土地を貸したり売ったりすると親戚からうるさくいわれる。
4 近所や親戚から落ちぶれたと思われたくない。
5 心のどこかに、いつかは帰りたい。
このような想いを引きずりながら、一方では荒れ果ててゆく家や土地の管理に、頭を悩ませているのが現実です。
 先日ある会議で定住対策が話題となり、私が「自分の子供や孫はまちに家まで建てて住まわせ、いなかには若い人が定住してくれないとぼやいているけれど、何とも滑稽な話ですね。」と発言したら、みんなシーンとして凍り付いてしまった。
見ると会議の参加者全員が該当者だった。

2月12日 すばらしい天候に恵まれた今日、息子と山の境界確認をして歩きました。
ご存じのように私は車いすです。
軽トラックの助手席に乗り、林道を入って行き、図面を見せながら現場と照らし合わせてゆくのですが、境界にすでに杭が打ってあるわけでもありません。
 私も50歳の時事故に見舞われたために、財産を次の世代に受け継がせるなんて夢にも思っていない歳でしたので、山林作業にはつれていっても境界を教えるなんて全くしていませんでした。
 私の記憶を頼りに車の中から、もっと右、いや左と大声で呼びかけるのです。
尾根筋や沢、また道や川が境界のところはわかりやすいのですが、目標物のないところは本当に大変です。
とうとうバックホーに乗り、急な林道を登ることにしました。
以前から気になっていたことだったので、少しだけでも息子に境界を教えられたことで、少し肩の荷が下りた感じでした。
 今農村では不在村地主が増え、農地の境界もそうですが、山林の境界のわからない人が本当に増えています。
木材がお金にならない時代になったことが、自分の山林に無関心となり、よけいに拍車を掛けています。
人工林は適切な管理をしなければ、ますます山林は荒れてゆくことになるのですが・・・・

山林の境界確認

あなたはプラス思考ですか?
2月16日 地域興しをする時、マイナス思考や下を向いている地域には、どんなにお金を掛けても人は集まらない。
私が24年間事務局をやらせていただいた阿武町林業振興会は、会長の力もあって色々な取り組みをしてきました。
林業振興会という団体は林業を営んでいるものが集まり技術を研鑽する団体です。
この団体が、29年前から「自然探訪ときのこ狩り」を通じて村まち交流のイベントを企画してきました。
毎年10月の体育の日にはまちから100人の方達が集まってきます。
春には「自然観察と山菜狩り」を企画し、夏には「間伐体験と木工教室」やります。
そして11月には「ふるさとあったか便出張イベント」としてまちへ出かけて行きます。
今まで神戸市東遊園地、福岡市箱崎商店街、今は北九州市黒崎商店街へ山の幸を沢山持って毎年出かけています。
 私たちの総会は内向けの祭りだと思っています。
ですから今まで私たちに関わっていただいた方達を呼びます。
間伐材魚礁を全国に先駆けてやった時には漁師の皆さんを呼びました。
ある時は大学生を呼び、ある時は隣町の林業仲間、またある時は出張イベントで頑張ってくれた現地スタッフを呼びました。
今年の総会では福岡や東京から来てくれました。
飲み代と宿泊代は何とかしますが、後は飛行機代なども皆さん自費参加です。
それでもみんな来てくれました。
たしかに今林業は非常に厳しいです。でも新しい発想やアイディアは下を向いていては生まれません。
地域興しの原点は人と人とが出会うこと、プラス思考で頑張るところに人が集まります。
この度、益田市匹見の頑張っている皆さんに出会いました。
頑張っている地域と地域が出会うことによって、また一歩踏み出せるのだと思います。

2月19日 日田市に宿だけを取り、17日の早朝から妻と九州へのぶらり旅に出かけた。
この日はあいにく季節はずれの大雪で、出発直後から吹雪の中を九州に向かった。
東九州自動車道から国道10号を通って耶馬渓に入った。
青洞門は降りしきる雪の向こうにうっすらと眺めることができた。
「九州に来たのに雪とはね。」と言いながら国道500号に入って安心院に行くことにした。
国道500号という番号に道の険しさを予想しないでもなかったが、降りしきる雪と出会った車は1台だけという心細さに加え、道は細くなり私たちの願いに反しどんどん上って行く。
峠の頂上はなんと7百数十b。本来なら絶景の展望が開けるのだろうが吹雪のため視界は2、300メール程度。
安心院では以前お世話になった方を訪ね、久住高原を経て日田に向かう。そのころには天気も回復し、枯れ草のあちこちになごり雪を見ながら一路日田へ。
 翌日当てもない旅は唐津焼を見に行くことになった。途中以前立ち寄ったことのある「厳木道の駅」に寄った。
この時期なのでこの駅自慢の野菜は少なかったが、それでもミカンやイチゴを中心に結構な品数が並んでいて活気が感じられる。
 しばらく走って唐津に着いた。でも、どこにも案内板もなければ唐津焼きを売っていそうなところが見あたらない。
仕方なく唐津駅の案内所で聞くことにした。
すると駅の2階に展示室。販売は駅前の商店街とのこと。言われるままに人通りの少ないアーケード内に入っていった。
すると入り口あたりに1軒、そして中程にもう1軒と2軒だけで、あちこちに売り店舗、貸店舗の張り紙のあるシッターが目にはいる。
せっかくここまで来たのだからと、本意ではなかったが1500円もするコーヒーカップを2つ買った。
楽しみながらショッピングをするという雰囲気はまるでない。
駅前商店街の環境整備がここまでされているのに、若い人から見放されたアーケード街の末期症状をここでも感じてしまった。
 中山間の活性化が叫ばれているが、もしかしたらこの様な駅前商店街の方が、もっと事態は深刻かも知れないと思った。

溶接作業
2月21日 今日からトラクターに付けるセット台の制作にかかりました。
セット台というのは、野菜などの出荷時に、収穫をする畑の中からトラクターの後ろに付けたかごに収穫物を入れて運ぶ装置です。
畑から集出荷場まで直接運べるので、我が家では無くてはならない装置です。
トラクターも90馬力クラスで大型ですが、その後ろに付けるかごといっても、約2トン程度の収穫物を一度に積むことができるので、相当頑丈なものでないと持ちません。
今まで使っていたものは13年前に制作したもので、補強しながらだましだまし使っていたのですが、とうとう使えなくなってしまいました。
作業は、長男が鉄骨を寸法通りに切って、私がそれを溶接してゆきます。
長野県あたりではメジャーな装置ですが、山口県では我が家しか使っていないので、こちらでは市販されていません。
今回制作したものは、6月の白菜収穫時に威力を発揮することでしょう。

まず荷物を載せる底の部分から溶接

2月24日 この時期一番の苦労の種は税金の申告です。
1年に1度のことですからなかなか覚えられません。我が家だけで農業経営、農家民宿樵屋、(有)あったか村と3通りの申告をしなくてはなりません。
農業の方は長男夫婦がやっていますが、後は私たちの方が担当です。
今日も朝からパソコンの画面をにらみつけながら悪戦苦闘。
ずっと胃薬の世話になりっぱなしです。

2月27日 2月26日に行われた農林漁家民宿起業・経営講座の後、山口県でこの様な体験型の民宿をやっている方達の組織がこの度でき、私が代表になってしまいました。
 山口県はご存じのように民宿開業される方が非常に少なく、この分野では後進県といわざるを得ません。
4月に開業される方を含めてようやく11軒ですらか、かなり低い数字です。
その低い原因として、山口県は食品衛生法が他県に比べて厳しいと言われていますが、食の安全を考えればある程度は必要なことではないかと、実際にやってみて今は感じています。
より食の安全を考えた時、山口県は一歩グレードが高いのだとアピールする、逆転の発想も必要ではないでしょうか。
これから一緒になって色々な取り組みをして行きながら、訪れる人も、迎え入れる私たちも楽しいものにした行きたいと思っています。
皆さんからも、楽しい企画を提案していただけないでしょうか。

    法事
3月2日
 2月28日、3月1日と続いて親戚の法事に出席することとなった。
宗派は違うけれども2つのお経を聞きながら、死についてゆっくり考えてみた。死への恐怖は若い時より確実に歳をとると薄らぎ、それは私自信が感じていることでもある。
法事に集う顔ぶれを見ると、懐かしい親戚の顔やいとこ達と、滅多に会うことのない人たちに出会える。
今日のように忙しい時代、こんな事がなければ遠くからわざわざ集まることもないだろう。これは故人が仲を取り持ち合わせてくれているのだろうと直に思えてくる。
いつもは長く感じられるお経が、こんな事を自問自答しながら聞いていると何とも心地よく心に響いてくるものを感じた。
こんな心境って、もしかしたらお迎えが近いのかな?
 

無人市の小屋作り
3月4日 一昨日から無人市の小屋作りを始めました。
以前使用していたものは、17,8年前に丸太とありあわせのトタンで作った簡単なものだったので、とうとう昨年使えなくなってしまいました。
今回はかなりしっかりした作りで、柱はすべて檜、屋根はガルバニュウムで葺く事にしました。
我が家の庭で組み立てたものを、トラックに乗せて現場まで持って行き、ホークリフトで据え付ける予定です。
家作りは本当に面白いです。
思い描いたものが少しずつ形になって行く楽しさを、息子と一緒に楽しんでいます。
この無人市は国道沿いに設置し、6月の始めから我が家の白菜やレタスが並びます。

骨組みが出来ました。

屋根に垂木を取り付け、ガルバニュウムを葺くと出来上がり

3月5日 無人市の小屋がようやく出来上がりました。
3日間親子で作った力作?です。
現場まではトレーラーに乗せて運び、据え付けます。この方法だと、現場での時間が大幅に短縮できます。
家をそのまま運ぶのは、なんだか不思議な感じです。
これをみて、孫達も「お家の引っ越しだ!」と大喜びでした。

無人市の小屋作りパート2

 山里フォーラムのんたの会総会

3月8日 第6回目の山里フォーラム「のんたの会」総会が、阿武町飯谷公民分館で開催されました。
今回の参加者は会員18名、と他2名。
のんたの会代表浜口さんの挨拶に続き、飯谷集落駐在員原田さんの挨拶などの後に、昨年度の取り組みの報告や、今年度の活動目標、一部規約改正を行って運営委員、監事などの役員補充をしました。
のんたの会は色々な分野の方が集まっていて、和やかな雰囲気の中にもすばらしい情報交換の場となりました。
総会の後、山口県立大学が取り組んでいる、地域共生演習の活動を西山監督が撮られた「地域が学校、地元が先生」の試写会が行われました。
 午後からは会場をあったか村に移し、昼食の後、柳の木にヒラタケの駒打ちをしました。
来年の秋には食べきれないほどのヒラタケが生えてくることを想像しながら「食べきれなかったら、どこで売って資金稼ぎをしようか。」などの、捕らぬ狸の皮算用をみんなで楽しく語っていました。

樵屋の雪景色
1月26日 今年2度目の雪が23日から降り始めました。
24日に阿武町林業振興会の総会をひかえ、東京や福岡から講師の方を呼んでいたので、開始直前まで、どの交通手段を使うか判断に苦労をしました。
でも、降ってみれば、久しぶりの雪景色も悪くないものです。

宿主の独り言 過去2009年5月から12月のページへ

  コブシが10日以上も早く咲いたけれど

3月21日
 昨日山のあちこちにコブシが割いているのを見つけました。
このあたりでは、例年ですと4月3日頃に咲きますので、10日以上も早いことになります。
昔からコブシの花が咲くと、苗代の準備を始めます。
今日のような機械化が進んだ時代となっても、この風習は残っていて「コブシが咲いたから水稲の種蒔きをしても大丈夫だよ。」と、良く言います。
これが結構当たっているのです。
 自然界の中では、動植物の予知能力は以外と当たっていると思いますが、こんなに早く咲いたのは今まで例が無く、本当に種蒔きをしても大丈夫なのかちょっと不安ですね。

  コブシの大誤算

3月28日 3月27日の朝、季節はずれのなごり雪がうっすらと一面を覆っていました。
雪だけではなく、気温もマイナス3度と真冬並みの冷え込みに、暖かさに慣れかけていた私たちを震え上がらせました。
震え上がったのは私たちだけではありませんでした。
山のあちこちに、今を盛りと咲いていた満開のコブシが、お昼頃に見ると無惨に茶色く変色しています。
数日前に、こんなに早く咲いて大丈夫?と書いたばかりでしたが、季節を読みとるコブシにも、今回の寒さは読みとれなかったのでしょうか。
この様な失敗を幾度となく繰り返しながら、植物も進化を遂げてゆくのでしょうね。

一人だけの入学式

4月8日 今日は孫の入学式。
阿武町福賀は人口766人の小さな地区で、今年度の新1年生は我が家の孫だけという寂しい入学式なので、私たち夫婦と妻の親も動員して、総勢保護者6名が出席しました。
会場には在校生14名と来賓の方が16名が、たった一人の新入生を迎えるという、なんとも寂しいけれど地域の皆さんに見守られたほほえましい入学式でした。