こんにちは 日本共産党宮内きんじ です 宮内きんじの顔 色が黒いですね 日焼けですよ 本当は白い
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  弥富出身の医師を求めて   宮崎 佐賀へ
05/04/10    有能な人材はどこでも必要とされている
   医師不在  合併が一番の原因
 

 3月5日に須佐町が無くなると同時に、弥富診療所の常駐医師がいなくなりました。合併の弊害が、住民のもっとも身近なところで生まれました。その原因や責任は、町長、議会、医師本人、合併協議会にそれぞれ存在します。いずれにしても、今回の市町村合併が発端であることは間違いありません。特に医師給与の大幅減額や診療所基金の取り崩しは決定的でした。これを考えるなら合併こそ一番の原因といえるのではないでしょうか。

医師確保が先決

 しかし、いま行うべきことは、常駐医師の確保です。この間、議会や議員の活動としては、合併協や新しい市の行政に陳情してきました。それだけでは、なかなか前に進みません。
会って話をする必要性を感じて
 住民のみなさんからの常駐医師確保の要求は日増しに強くなっています。医師確保に向け、個人的な努力も必要だと考えました。特に弥富の方々からは、弥富出身の医師に掛け合って欲しいという声も出ていました。「兄弟のうち3人も医者になっているSさんがいる。一人ぐらい何とかならないか」というものです。その末弟になる医師と私が同級生であったことから、声が高くなるのも当然です。この間、連絡を取りましたが、直接会って話をすべきだと感じました。
 会う前に行政の側で目処がついていたのでは、先方に失礼と思い、市の保健福祉部長に連絡を取りました。部長は「いま行政側も常駐医師確保に向け努力しています。どういう状況になっているか具体的に言える段階ではありません。出身者の医師なら最適です。もし、その意向があれば、行政としても話をしたい。話をしにいかれて結構ですよ」と述べました。それをもとに、行動を起こすことを決断しました。

宮崎と佐賀の病院に

 5日に宮崎の病院の勤務医をしている兄さんを尋ね、6日に佐賀大学のわが同級生のところにいきました。
 
STさんは病院の副院長        ST医師と病院前で

 初めに訪ねた宮崎の病院は、シーガイヤがある海岸の近くでした。青いきれいな海と降り注ぐ日差し、植えて間もない早期水田、ラジオからは青果物市況が流れる明るい街です。
 病院は、内科、外科、小児科など8科あり、救急や労災、公害などの指定も受けています。ベッドが120床あり、医師 人を含め、職員150人体制です。3年前に新築して毎日約280人の外来患者を診ています。
 帰ってきて欲しいと願うST医師は、この病院の副院長です。外科を担当しておられ、系列の医療組織の仕事もこなしておられます。
 医師を確保する立場にあり、その困難さもよく承知しておられました。医療現場の状況も詳しく説明していただき、都市部での若い医師のストレスは非常に強いものがあり、なかなか確保が難しいと語っておられます。

予定の仕事がいっぱい
 帰って欲しいという要請には、次のように説明しています。鹿児島大学を卒業後、診療所・病院の臨床医として働き、系列の医療機関の充実と鹿児島・宮崎に広げる仕事も担ってきたこと。来年は宮崎県での独立も予定され、新規医療機関の開設も考えているということなどです。そのため、いま宮崎を離れること難しいと率直に語られました。
 故郷のことも気にならないわけではないが、この状況を汲み取って欲しいと述べられました。終始穏やかに親密に語られる姿を見て、この人はどこにいても頼られるだけの人格を備えていると感じました。私も「そうはいっても、ぜひ帰ってきて欲しい」と述べ、別れました。

SEさんは佐賀大学医学部付属病院の医師    SE医師と佐賀大学病院で

 あくる日の6日、午後2時に面会を約束していたこともあって、高速を降り一般道を地図を見ながら、ゆっくりと目的地の佐賀に向かいました。
 目指すSE医師は佐賀大学医学部付属病院の勤務医。佐賀大学医学部は、佐賀平野の真ん中に威風堂々と建っています。
落ち着いたバーントシェンナ(こげ赤褐色)の色が、平野の明るい空に映えています。こんな立派なところで働いているのかと感慨深いものがありました。
 保育園、小、中、高と同級生で気心もバッチリ知れています。学校の成績も女性からのモテかたも、及びもつかない雲泥の差でしたが…。

佐賀医大1期生 はえぬきの有望な人材
 外来の診察が終わったあと会いました。現在彼は、血液内科の主任として研究グループの責任者になっていると説明してくれました。昨年4月から助教授となり、部署を任されているということです。佐賀医科大学の1期生で生え抜き、有望な人材のようです。これからの大学病院を支えていく立場にあるのでしょう。いま最も旺盛な研究活動をしていることが雰囲気から伝わってきました。
 そんな状況で「自分が帰るのは今は無理」とはっきり言いました。若い頃から「弥富に帰りたい気持ちはある」と言っていたので、彼が「無理」といえば本当に無理です。

できる限りの協力をすると
 だからと言って、俺は知らんとは絶対に言わないのが彼です。そこに人々の信頼の大きさがあります。佐賀大学には地域医療科学教育センターがあり、地域医療との連携を進める部門があります。そこの情報をきいてみて、何か良いものがあれば知らせると言ってくれました。こちらの状況や医師の待遇などの大まかな説明をし、協力をお願いして別れました。

時間と労力が必要
 今回の訪問で実感したのは、帰ってきて欲しいと願う有能な人は、今いるところで力を発揮できるしっかりした立場にいると言うことです。簡単に動けるような軽い存在ではなくなっていると言うことです。医療をめぐる状況は、医師確保には一番厳しい時期です。その中で、有能な人物をひっぱってくることは時間と労力が必要です。

一度に成果が上がることはない
 今回の宮崎と佐賀への地元出身医師訪問では、住民のみなさんが期待する成果は上がりませんでした。しかし、一つの足がかりとしては意味がありました。故郷のことを決して忘れていないことを感じましたし、何かの時には相談や協力してもらえることもわかりました。やはり、直接顔をあわせて、話をすることは大事です。これからも折あるごとに連絡をとっていきたいと思います。
 医師の招聘については一度に成果が上がることはほとんど考えられません。松原医師を招聘するときも、関係者が何度も足を運んでいます。行政とも連携して早く住民の期待に応えられる体制を作りたいと思います。
 また、住民のみなさんも医師に関する情報があれば、ぜひ知らせていただきたいと思います。
 以上、医師招聘についての地元出身者訪問の報告とします。