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なるほど法話 海 潮 音
科学 第7話 ガン細胞
私どもの体の細胞は脳・神経系のものを除いて大体七年を周期に入れ替わっているのだそうです。すなわち、私どもの体を造ってくれている細胞は常に死んでいき、そして再生され、細胞が死ぬことによって、私どもは逆に個体(細胞の集まり)として生かされているわけです。
この細胞と個体(細胞の集まり)との関係は、その上の個体と種(個体の集り)との間にも見られます。たとえば、人という種を考えたとします。その種を構成する個々の個体(一人一人の人間)が永久に生き続けるとすると、種としての活性度が保たれなくなり、都合の悪い事態となります。ですから個体は死ななければ困るわけです。個体が死んで常に世代が交代することによって種の活性度が保たれ、種の生存そのものが保たれることになるわけです。
この細胞と個体、及び個体と種の関係は、部分と全体との関係になります。部分の死が全体の生を支えているという関係です。これは自然の摂理と言ってもいいでしょう。
ところが、ガン細胞というのは上述した普通の細胞とは違う動きをします。普通の細胞が自らが死ぬことによって全体としての個体を生かしているのに対し、ガン細胞は、自らが生き続けようとすることによって、全体としての個体を滅ぼしてしまうという方向に動きます。
全体としての個体はガン細胞にとっても生存基盤ですから、個体が滅んでしまえば自らも滅びざるを得ないわけです。ガン細胞の行動は自滅的行動と言わざるを得ないでしょう。
繰り返せば、普通の細胞が全体の生存のために死んでいくのに対し、ガン細胞は自らの生存を優先することにより、結果的に全体を滅ぼし、同時に自らをも滅ぼしてしまっているのです。ガン細胞とは何と示唆的な細胞でしょうか。現代人のエゴ的行動をそのまま表しているように見えてきます。
そこで思い出すのは、以前紹介した「ビアフラの青年」の話です(「社会−4」をご覧下さい)。毒蛇にかまれたビアフラ(アフリカ中央部)の青年は病院に治療に行きましたが、すぐに腕を切断しないと命が危ないという診断に対し、しばらく考えた末、手術を受けず死を選んだという話です。
彼らは厳しい自然環境の中で皆が助け合い、ぎりぎりの生活をしています。そこで、手術を受けてまでして片腕の自分を周囲の善意に生かしてもらうか、それとも集団のために自分の命を犠牲にするか、難しい選択をしたのでしょう。彼は自分の事なのに、個よりも全体のことを考えたのですね。(平成12年11月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。