このページは音声読み上げページです。下の[開始]ボタン(右矢印)を押すと、テキストの読み上げを開始します。([開始]ボタン(右矢印)が出ていない場合はここをクリックしてください。)


なるほど法話 海 潮 音      


社会 第 4 話  ビアフラの青年    

宗教評論家のひろさちや氏はある本でこんな話を紹介しています。

ビアフラ(アフリカ中央部にあるナイジェリアの旧東部州のイボ族が1967年に独立宣言をして樹立した共和国。しかし連邦政府との内戦で3年後に崩壊し、内戦時には一日に三千人の餓死者を出したという)での話ですが、地元のある青年が毒蛇に咬まれました。病院に治療に行ったのですが、既にひじから先は壊死しおり、すぐに腕を切断しないと命が危ない状態でした。

青年は診断の内容を知ると、しばらく考え込んでいた様子ですが、医師や看護婦が手術を受けるよう勧めても頑として応じようとしませんでした。手術を受ければ助かるものを、なぜ彼は死を選ぼうとしたのでしょうか。どうも色々と訳があるようです。

ビアフラのイボ族の人たちは、厳しい自然環境の下で生き抜くために、みんなが働いて助け合う大家族制をとっているのだそうです。したがって一人でも十分に働けない者がいると集団に多大の迷惑をかけることになるため、その青年は片腕となって集団に迷惑をかけるより、集団のために自らの意志で死を選んだということらしいのです。

勿論、厳しい環境下で生きるイボ族の人々は人一倍あたたかい心の持ち主ですし、その青年自身がその一人です。周囲の人々の善意に片腕のない自分を生かしてもらうか、それとも集団のために自分の命を犠牲にするか、難しい選択です。

その青年は、「助かる」と「迷惑をかける」を天秤にかけたのでしょう。そして考えたに違いありません。「手術を受けるということは、人間の力で「助かる」方を重くすることであり、「迷惑をかける」方を作意的に軽くすることである。そこまでして助かっても、とても生きていけそうにない。

しかし、もし、手術を受けずに助かったとしたら、それは神の意志として、周囲の善意を受け入れて生きていくことができるに違いない」と。現代医療を考え直す一つの視点と言えるかも知れません。(平成9年8月)


音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。