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なるほど法話 海 潮 音
文化 第8話 老荘に学ぶ
老荘とは、老子(紀元前4世紀頃の人)と荘子(紀元前4世紀後半の人)のことで、その教えを老荘思想とも言います。当時の中国は戦国時代と呼ばれ、戦乱の絶えない時代でした。
このような乱世にあって、儒教の大成者である孔子(紀元前552~479)は、道徳や儀礼が失われたので乱世となったのであり、道徳や儀礼を取り戻さなければならないと主張しました。
これに対して老子は、道徳や儀礼こそが乱世を招いた張本人であると主張しました。すなわち道徳や儀礼は人間が作り出した「人為」であり、これが人間社会に差別を生み出し、その差別が乱世の原因になっているというのです。だから老子は道徳や儀礼といった「人為」的な生活をやめて、「自然」の生活に帰れと主張しました。
老子がこのように主張する根拠に、戦乱に明け暮れる都市とは無関係に天下太平を満喫する農村風景があったからだといわれています。「日出でて作ち、日入りて息い、井をうがちて飲み、田を耕して食う。帝力、我において何かあらんや」(「撃壌歌」)という中国の農村風景を歌った古い歌がそれを表しています。
老荘が主張する「自然」とは、いわゆる「自然」(nature)とは異なり、文字通りの「自ずから然り」という意味です。これを森三樹三郎氏は「他者の力によらないで、それ自身に内在する力によって、そうなっていること」と説明しておられます。そしてこの場合の「他者」とは「人為」のことですから「自然」は「人為」を排除するため、「無為自然」ともいわれます。
老子にはまた、「無為にして為さざるは無し」という言葉もあります。「無為にして」とは「人間の人為なくして」であり、「為さざるは無し」は「万物それ自身の力によって全てはうまく為されている」という意味です。人間が余計な手出しをしなければ、万物はそれ自身の力によってうまくいくという主張です。
これは、人間が余計な手出しをするので、全てが乱れるという主張でもあります。環境破壊等の多くの問題を抱える現代文明にとって、老荘の教えは学ぶに値する教えと言えましょう。
そもそも日本文化は老荘の「自然」に共鳴する基盤がありました(「日本文化の特質」)。親鸞の「自然法爾」の思想や、国学者本居宣長の説く「自然」、俳句の大成者である芭蕉も、偉大な自然の働きとしての「造化」という言葉を盛んに使っています。
このように日本文化には老荘的な「自然」が脈打っているわけですから、我々日本人は自国の文化を振り返ることによって、現代的な問題解決の糸口を十分つかみ得るように思っています。 (平成13年9月)
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