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なるほど法話 海 潮 音      
仏教  第10話  「同事」再考    

以前に「同事について」と題して書きましたが、もう一度、「同事」について書いておこうと思います。

当山の婦人会にコーラス部があります。平成五年十一月七日の当山諸堂改修工事落慶法要の折りにお披露目をしていただきました。名前は「コール・サマーナ」といいます。命名したのは住職である筆者ですが、その「サマーナ」とは、「同事」の原語(サンスクリット語)である「サマーナ・アルタ」(samana-artha)の前半の言葉「サマーナ」(「同」の意)で、それを取って命名致しました。

道元禅師はこの「同事」を「不違なり」と説明されています。「自と他を差別せず協調できる心」をいうものと思います。

コーラスはハーモニー(調和・和合・一致)が第一でしょうから、常にハーモニーを大切にしていただきたいという願いを込めて命名したつもりです。

「同事」について道元禅師は更に「人間の如来は人間に同ず」と述べられますので、中野東禅さんが言われるように「同事とは、上の者から下の者への問題」と考えられます。

似た言葉に「和光同塵」(『老子』第四章)というのがあります。才能(光)を和らげ隠し、下々の者(塵)に同じることを言いますが、この場合は、本当は自分には才能があるという意識が残っているように思われます。

これに対して道元禅師は、「他をして自に同ぜしめて後に自をして他に同ぜしむる道理あるべし」と述べられます。他者(下の者)を自分と同じ高さまで引き上げておいて、その上で自分を他者に同ぜしめる、という意味かと思います。

この場合は、自分の才能を隠して意識的に和合するのではなく、他者と自分が同じであり、寸分も異ならないと認識するが故に和合できるのだと思います。

上の者が下の者に対して、実は同じ人間であると認識するからこそ、真の和合が可能となると言えましょう。

昨今の世情を見渡しますと、毎日のようにお偉い方が問題を起こしているようです。お偉い方が問題を起こすと言うより、お偉い方であるが故に起こせるような問題が起こっているように見えます。

「同事」ということが、「上の者から下の者へ」について言っているのであれば、問題を起こしているお偉い方に是非勉強してもらったら、というご忠告を頂戴しそうですが、実のところ、心の中では誰しもが「自分が一番偉いのだ」と思っているのではないでしょうか。少なくとも、私などは反省すべきことしきりです。(平成14年4月)


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