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なるほど法話 海 潮 音      


仏教 第 8 話  同事について    

先般、曹洞宗の県下の住職が参加します現職研修会が、この萩で開催されました。講師は曹洞宗教化研修所の中野東禅先生で、講義の中で「同事」についてふれられました。

私は「同事」については、自他の差別をしないで協調できる心、くらいに考えていましたが、中野先生は、同事について『修証義』には「人間の如来は人間に同ず」と説かれているのであるから、上の者から下の者への問題であり、社会に当てはめれば、専門家が一般の弱者に対して責任をもつことではないか、と解説されました。

なるほどと思ったのですが、今の日本の社会を見渡すと、上の者ほど利己的で色々な問題をおこしているのを見るにつけ、これは「同事」ということをもっと大切にしなければいけないなと思った次第です。

そのとき、学生時代の四年間を過ごした道憲寮での『寮訓』に「平等即差別」という言葉があったことを思い出しました。その意味は、上級生は下級生にたいして平等に、下級生は上級生に対して先輩という敬意を払うべし、ということだったと思います。

今の社会にはこの両方が欠けていると言えるかも知れません。また、嫁・姑を例にとって「同事」を説く佐藤俊明老師は、お嫁さんがお姑さんに落ち度なく仕えようとするかぎり、そこには対立があってうまくいかないけれども、お嫁さんが、ふとした事で、嫁ではなく娘になろうと気付いてからは大変うまくいくようになったという話とともに、次のような禅問答も紹介されています。

(問)「いかなるかこれ仏」、(答)「新婦驢に騎れば、阿家ひく」(花嫁が馬に乗って姑がひく)というものです。姑が馬に乗って嫁がそれをひくというのが世間で目にする姿ですが、嫁でなく娘だとすれば、その逆の姿もおかしくないでしょう。姑は嫁を娘と思い、嫁は姑を母と思えば対立なく、一如の世界が開けてきます。それが仏の世界だというのがこの禅問答の意味する処でしょう。味わい深い問答かと思います。(平成10年7月)


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