保福寺(寿永山)は都濃郡久米(現、徳山市)にあった原始院の住職が萩に一字を建立し、隠居したことに姶まる。その後元和6年(1620)に海潮寺第13世良伝に譲ったので、良伝をもって開山とする。地蔵菩薩は「身代わり地蔵」ともいわれ、古くから庶民の信仰を集めている。明治初年、海潮寺に合併した。

 法蔵寺(護龍山)は、第2世鉄酸が一切経経蔵建立を発願し、厚狭郡舟木村の観音寺という旧跡を興し、元禄7年(1694)に萩に再建して、師の海潮寺第19世本節を開山とした。明治初年、海潮寺に合併した。
 
江月庵(鶴江台山)は、同じく鶴江台にあった音声寺(常念寺末、明治初年廃寺)の観音堂で、文久のころ焼失したが、焼け跡から観音像を三好徳蔵が掘り出し祀っていたところ、海潮寺第30世道輝が堂宇を建立し安置したので、海潮寺に属するところとなった。現在の堂宇は明治36年(1903)に再建されたものである。