明治30年代の人力車

明治30年代はもっとも多くの人力車が日本で生産されている。写真の人力車は、福岡県若宮町(長崎街道沿いの若宮村)で当時、村に一台あったもので、村長が自宅から役場まで使用していた。(600m間)公用車のち、自家用として使用していたもの。

製造は大阪南堀江上通り3丁目の鍛栄商店

幌:不明

座席:革張黒、細木を丸めたものをコイル状にして詰めている。座席の背中面の皮に鍛栄のマーク。(「大阪堀江鍛栄製」)座席の外は背中面に鍛栄の工場マーク又背中面の下側は段がない仕上。まだ肘掛は付いていない。
座席(胴)の材料はヒノキに寒冷紗(カンレイシャ)張り。漆と砥の粉を混ぜて付け、その後、黒漆仕上。後押棒は付いていない。

蹴込:ヒノキ材を使用。水出口が付いている。

シメ:丸シメ。外の受板は扇形。緑色のガラス玉が埋められている。

泥除:木製、平ばり、漆仕上。

車輪:輪板は樫材。輻(や)樫材(片車輪 本)金輪
    こしき 欅(ケヤキ) 金具で止めている。

バネ:丸味バネ3枚、漆仕上か。

梶棒:樫材、うず巻彫、象鼻は鉄鋳物

撞木:樫材、うず巻彫


※俥が軽く、こしきの中が鉄官でベアリングは入ってない。
梶棒が蹴込のところで広がって撞木のところでしぼっている。梶棒が湾曲していて、車夫が大きい人でも曳きやすい。又、蹴込が低いので乗りやすい。

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