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禅 第81話  本了和尚の大悟
        
  今回は義栢和尚のお弟子である大癡本了和尚(当山二〇世)の大悟について考えます。『歴住伝譜』には次のようにあります。

 後に、鎮西に遊び崇源に至る。栢公(義栢)、其の法器 たるを知りて、礼を設けて  接客す。一日、方丈内に 在りて点心(お菓子の接待)す。
 師(本了)、即ち問う、 「三世(三世心)は不可得なり、那箇の(どの)心に点ずる   や」。
 栢、咄して曰く、「什麼と道うぞ」。
 師、嘘々す。
 栢曰く、「今日、長老に逢えり」。
 払袖して出ず。
 栢、喚びて曰く、「長老、々々」。
 師、耳を掩いて去る。
 尓てより機語(真理そのものをぴたりと開示した語)相い投じて信衣(伝法の証とす  る袈裟)を受く。

 ある時、義栢和尚が本了和尚に点心(お菓子を心胸〈腹〉に点ずること)の接待をし  たとき、
 本了和尚は「三世心(過去心・現在心・未来心)は不可得です。どの心に点ずるので  すか」と問いました。「心胸(腹)に点ずる」を文字通り「心に点ずる」にもじったのです。
 義栢和尚は「何を言うか」と叱っただけで答えませんでした。
 本了和尚は袖を払って立ち去ろうとしましたが、呼び止められたので、耳をおおって  出ていきました。

これが本了和尚の悟りだというのです。解らんですね。実はこの三世心不可得は徳山宣鑑(七八〇~八六五)と老婆の問答を前提とします。

『金剛経』の学者として並ぶ者なしといわれた徳山宣鑑は、その経の一節をあげて問う老婆の問いに、ただ茫然として答えることができなかったという故事を道元禅師は『正法眼蔵』心不可得の巻で詳述されています。

この巻には同名の巻が二つあり、後の心不可得の巻に
 「僧ありて国師(南陽慧忠、七七五寂)に問う、いかにあらぬかこれ古仏心。
 国師云く、牆壁瓦礫(あるがままの石ころをあるがままに受け取る心)。
 これも、心不可得なり」
とあります。

私たちは自由に何でも思い描くことができると思っていますが、それは自己の欲望の生み出す迷妄であることを道元禅師は「自己をはこびて万法を修証するを迷ひとす」といわれます。一方、悟りの方は「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」といわれます。

すなわち、一切の存在のあるがままに即してある心、それが悟りの心(仏心)であります。それを表現するのに「牆壁瓦礫」(壁や石ころ)という答ともなるわけです。

本了和尚は「什麼と道うぞ」と叱られました。だから出ていったのでしょう。あるがままに即した心の行動です。

良遂和尚(当山二二世)の賛に「心々伊れ知らず、従来は女に辜負す」(徳山が失敗した老婆の三世心〈心々〉不可得を見事に体得せり〈「知らず」は逆説的な誉め言葉〉)と賛嘆されています。(令和二年十月)