なるほど法話 海 潮 音
           
禅 第72話  正達和尚の大悟
     
 今回は天桂和尚のお弟子の通天正達和尚(当山一一世)についてですが、伝記には大悟に関しては次のように述べられているのみです。

 丁年(満二十歳)にして関左(関東)に遊ぶこと久し。 父母を帰省す。
 因に桂公(天桂和尚)に見えて所証(悟 る所)有り。
 直に石州(島根県)の波積(江津市波積町) に往きて、茅を誅い、庵を結び、紙  衾(紙の夜着)、布衲 (布衲衣)にて、唯だ静坐のみ是れを修す。
 道俗嘆服 す。

「桂公に見えて所証有り」のみでは大悟の様子は全く以て判らないというべきでしょう。しかしながら、「唯だ静坐のみ是れを修す。道俗嘆服す」という件が唯一の手懸かりかと思いますが、本了和尚の賛には次のようにあります。

 布衲・紙衾(紙の夜着)にて、静坐して臥せず 
 黙味閑然たるも、千年の滞貨別々なり
 蒲団破れ禅板爛る
 古木堂(坐禅堂)に羞嫁(恥)を得たり

見慣れない語もありますので現代語訳を試みます。

 粗末な袈裟と紙の夜着で坐禅をし、横になって寝ることなし。
 黙々と坐禅する姿と長年の売れ残りと。
 坐禅用の坐蒲も禅板も共にぼろぼろ、
 坐禅堂で大恥をかく。

正達和尚は天桂和尚より悟りを認められるや、直ぐに石州波積(島根県江津市波積町)に行き、粗末な庵を結び、そこで黙々と坐禅をされました。

その様子が右の賛であります。それにしても「千年の滞貨」(長年の売れ残り)とは何を言っているのでありましょうか。

『従容録』第二則に「達磨廓然」という話があります。インドから禅を伝えようと達磨大師が中国に来て梁の武帝と問答をしますが、全くかみ合わず、達磨大師は少林山に行って壁に向かって坐禅を九年間し続けた(面壁九年)といわれます。

その「面壁九年」を説明した著語(短評)に「家に滞貨無ければ富まず」(家に売れ残りをかかえているくらいでないと家は裕福にはならぬ)という言葉があるのです。

この言葉の意味するところは、売れ残りがホコリをかぶるが如く黙々と坐禅する者がいなくては禅は発展しない、ということのようです。

正達和尚のように粗末な庵でぼろ衣を着て黙々と坐禅をする人がいて初めて禅の発展がありうることを、本了和尚は著語の言葉を借りて述べられたのでしょう。

「古木堂に羞嫁を得たり」とは逆説的に正達和尚を絶賛されています。 (令和二年一月)