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禅 第68話  園馨和尚の大悟

今回は竹庵和尚のお弟子である園馨紹春和尚(当山七世)の大悟について考えます。『歴住伝譜』には次のようにあります。 
 
 竹庵禅師に見えて、即ち問う、「如何なるか是れ空劫已前の事」。
 庵(竹庵)、壁間の画梅を指し示して曰く、「会すや」。
 師(園馨)、言下に省有り。所解 を呈して曰く、「劫前の一句、覿露堂々。画梅、        笑 を含んで春風を悩乱す」。
 庵、微笑して曰く、「且喜すらくは画梅綻びぬ」。
 此に於いて自ら園馨と号す。
 
 上記の問答を解く鍵は「空劫已前の事」にありましょう。『禅学大辞典』によれば、「空劫」とは、世界が破壊し去って滅無になった状態をいうようです。そして「空劫已前」については「有無・迷悟・善悪・凡聖などの相対差別のすべての現象が分かれ起こる以前の絶対の存在をさす」とあります。難解な説明です。

そこで、相対差別のすべて現象を起こしているのはいったい誰であるかを考えてみる必要がありましょう。

絶対的存在から現象が分かれ起こるというのではなく、私たち人間が差別をするので相対差別の現象世界が展開していると考えるべきかと思います。

自然界には数え切れないほどの花が存在しますが、それらすべてがありのままの自然界です。そのありのままの花に対して、この花は好きだけど、あの花は嫌いだと差別をしているのは私たち人間です。私たち人間に選り好みをする心があるから相対差別の現象世界が展開しているというべきでしょう。

空劫已前とは何かという質問に対して、竹庵和尚は壁に掛けてあった梅の絵を指し「解ったか」と仰ると、園馨和尚は、たったそれだけで悟られたのです。

梅の絵を見て差別の心を起こさず、あるがままに受け取ることができれば、それが「空劫已前の事」ということになりましょう。

園馨和尚の「覿露堂々」(既に目の前にはっきりと現れている)という言葉がそのことを示していると言えましょう。

繰り返しますと、梅の絵があります。これは素晴らしい、いや下手だ。そもそも紅梅は嫌いだ、白梅がいい。などという心がありますと、相対差別の現象世界が展開します。しかしその梅の絵をありのままに受け取りますと、差別の現象世界は展開しません。その時、その梅の絵は空劫已前の存在と言えましょう。

梅の絵を指されて咄嗟に空劫已前の存在と気付かれる園馨和尚は、日頃の坐禅で無心を体験されておられたからだと思います。そんな園馨和尚を見て、竹庵和尚は「画梅綻びぬ」と喜びを表現されました。(令和元年九月)