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禅 第60話  正伝の仏法
      
 お寺に参りますと山門があり、それをくぐって山内に入りますと、その正面に本堂があり、そこに本尊様、即ち仏像が安置されています。

寺院の中心的建物(本堂など)に仏像が安置されている形は仏教が日本に伝わった当初から変わっていないと思いますが、中国で成立した禅宗は少し違っているのです。

即ち、山門を入ると仏殿があり、その奥に法堂があります。

仏殿には皆さんがご存じの本堂と同じく仏像が安置されています。

そして法堂には須弥壇はありますが、仏像は安置されていません。その代わり須弥壇正面に堂々とした階段がしつらえてあります(例えば建仁寺の法堂)。

何のためでしょうか。その階段を住職が上るためなのです。

住職はその階段から須弥壇に上り多くの弟子たちに説法をしたのです。これを上堂といいます。

現在の永平寺の伽藍配置も山門・仏殿・法堂となっていますが、仏殿にも法堂にも仏像が安置されています。

ところが道元禅師が建立された当初の永平寺は法堂と僧堂(坐禅堂)だけでした。その法堂は仏像が安置されていない本来の法堂でした(「百丈規縄頌」に「仏殿を立てず、ただ法堂を構う」とあります)。

道元禅師の仏法は禅師の『正法眼蔵』面授の巻に、釈迦牟尼仏が多くの修行僧の前で花を拈じる説法をされたところ、迦葉尊者だけがにっこりされたので(以心伝心)、釈迦牟尼仏は、吾に悟りの心有り、これを迦葉尊者に授けりと言われ、この悟りの心は代々授け継がれて達磨尊者や慧能大師を経て如浄禅師に至ると、遂に大宋宝慶元年(一二二五)五月一日、道元禅師に至ったのである、とあります。

こうして道元禅師はその仏法を日本に伝えられたのでありますが、それを禅師は「正伝の仏法」といわれています。

それは、釈迦牟尼仏からの直伝であると同時に、釈迦牟尼仏と同じように悟りの心を授けようとする仏法だからでありましょう。

そのことは法堂の形に如実に顕れているように思います。即ち、それまで日本に伝えられた仏教が仏像に手を合わせて拝む仏教であったのに対し、仏祖となった道元禅師が自ら須弥壇に上って法を説き、それを聴聞する弟子たちを仏祖たらしめんとする仏法だったからでありす。

後に宗門においても法堂の須弥壇上に仏像を安置するようになりましたが、道元禅師の「正伝の仏法」は禅師の仏法をそのまま注ぎ込むことのできる器を育てることにあったことを決して忘れてはならなでありましょう。 (平成三十年二月)