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なるほど法話 海 潮 音      


禅 第 6 話  自己をわするる    

道元禅師は、「仏道」とは「自己をわするる」ことであり、それは「万法に証せらるる」ことであると説かれ、また、「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり。」とも説かれています。

意味するところは、自己の側からものを計らうのが迷いであり、そのような自己を忘れ去ることにより、もののありのままの姿(無常)をキャッチするのが悟りだ、ということになるかと思います。

即ち、迷いから悟りへの契機は「自己をわするる」ことにあるわけです。この「自己をわするる」ということですが、これは恐らく坐禅の中で達成されるものと思いますが、具体的にはどうかというと、どうも雲をつかむような話になってしまいます。

そこで、進歩めざましい脳科学の世界をかいま見て、ヒントを探ってみたいと思います。大脳は大きく右脳と左脳に分かれ、更に各部分は色々な役割を分担しているそうです。

外界からの知覚情報は、一旦、決められた脳の各部分に送られた後、そこから左脳の前頭葉にある意識中枢というところに送られ、そこで情報を総合し、外界に対して身体がどのように行動すべきかという意志決定を行い、次いで逆の経路で全身に指令を出すのだそうです。

今、この意識中枢が「音楽を聴こう」という指令を出したとします。その指令は側頭葉(脳の聴覚を司る部分)に達し働きを促しますが、聴いている音楽が好きな音楽と嫌いな音楽とでは脳の働きの様子が異なります。

まず、嫌いな音楽を無理して聴いている場合は、意識中枢が側頭葉に「聴く」という指令を出しつづけ、緊張した状態で聴くことになります。一方、好きな音楽を夢中で聴いている場合は、意識中枢は指令を出す働きを中止し、すべてを側頭葉に任せて、脳の中は音楽だけになってしまうのだそうです。

この「意識中枢」は自我意識とも呼ばれ、わするるべき「自己」に相当するでしょう。大いにヒントになるかと思います。(平成9年1月)


音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。