なるほど法話 海 潮 音
           
禅 第45話  五千分の一人
    



 私は寺に生まれ寺に育ち、生まれた寺の住職におさまっています。そんな雰囲気の中で生きていますと、どうしても、する事なす事すべてが自分中心になりがちです。勿論そうでない方もおいでになるとは思いますが。

私の属する曹洞宗の開祖であられる道元禅師は「仏道をならふといふは自己をならふなり、自己をならふといふは自己をわするるなり」とお示しです。このお示しは自己中心的な私を常に鞭打つお示しといえますが、少しばかり感じたことを以下に述べてみます。

 東日本大震災から一年半が経った頃、県内宗門寺院の寺族(お寺の奥様方の)研修旅行に同行させていただき被災地を廻りました。

その折に仙台の輪王寺御住職とご縁を頂き、「いのちを守る森の防潮堤」活動のお手伝いをさせて頂くことになりました。

以前にも書きましたが、自坊の山の竹を切って七〇センチ程の竹串を作り、輪王寺さんに送って森の防潮堤作りに役立ててもらうのです。

このお手伝いだと現地に行かなくてもできるお手伝いですのでとても効率がいいと密かに思っています。このあたりがやはり自己中心的な思いが首をもたげているのかも知れません。

一昨年は植樹用の苗を育てるための現地でのドングリ拾いにも参加しましたが、昨年は宮城県岩沼市で行われた第二回植樹祭に参加させて頂きました。

大人から子供まで五千人もの人間が一同に集まり、六万本の樹を震災瓦礫を埋めて造った防潮堤に植えました。

震災瓦礫を取り除いてできた見わたす限りの広場に五千人もの人間が、申し込んだ班に整列して座り込み、宮脇先生の植樹の指導に聴き入りました。

五千分の一になった自分が壇上の説明に聴き入る姿に小学校の頃の運動会の様子が重なります。なつかしい感覚です。

同時に目を現実に戻すと、前の人も横の人も還暦を過ぎたおじさんです。たまたま坐り合わせた人ですが、何となく会話が始まり、壇上の先生から「静かに!」と呵られそうなくらいにおしゃべりが盛り上がりました。

説明が終了し、いよいよ指定された番号の植樹の場所に列を作って粛々と歩き始めました。

参加者は全国から来ている筈ですが、ほとんどは地元東北の方々でしょう。五千人が一つのスピーカーから流れる指示に黙々と従う姿は、日本のそして東北の姿なのでしょうか。皆の中の一人になって行動する何とも言えない開放感を感じます。

時間が許せば今年もまた東北での植樹祭に参加してみようと思っています。自己中心的な人間が五千分の一人になり「自己をわするる」ひとときのあの味わいを求めて。  (平成二十七年四月)