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禅 第44話  脳科学が教えること
    



 今回は、養老孟司さんが自著『「自分」の壁』で話題にされたジル・ボルト・テイラーさんの『奇跡の脳』(竹内薫訳、新潮文庫)を取り上げます。

テイラーさんは同書の中で、脳卒中で左脳を損傷した経験を克明に記述され、この経験から深い心の安らぎをもたらす右脳の世界のすばらしさを説かれています。

テイラーさんの右脳と左脳の説明は、道元禅師の仏法を理解するのに大変参考になるように思いますので、ややこしい話になるかとは思いますが、お付き合いをお願いします。

 人間の脳の大脳皮質は右脳と左脳とに別れ、脳梁でつながっていますが、テイラーさんによりますと、右脳(感じる脳)は個々の瞬間(内容豊富で複雑な瞬間)を正確に記憶するのですが、現在の一瞬(今)以外の時間は存在しないのだそうです。

一方、左脳(考える脳)は、右脳が記憶した内容豊富で複雑な個々の瞬間を次々と比較し、直線上に並べ換え、過去、現在、未来に分けて「時間」の概念を明らかにするのだそうです。

更に左脳にある言語中枢は「自己」(わたし)の意味を明確にし、自分にとっての快(好)・不快(嫌)を分別し、快いものを良とし不快なものを悪と判断して常に自分と他人を比較するのだそうです。

そして左脳の方向定位連合野には自分の身体と周りの空間との境界を明確にする細胞があり、これにより肉体的な自分を意識することができるのだそうです。

このような働きをする左脳が損傷し、右脳だけが働いている状況になると、自分の体が個体でなく流体であるかのように感じ、自分が宇宙と一体だと感じるようになって、深い安らぎに包まれるのだそうです。仏教徒なら涅槃(ニルヴァーナ)の境地に入ったと言うのでしょうとまで述べておられます。

 そこで道元禅師の仏法に移ります。紙面の都合上、単純な比較をお許し下さい。

まず禅師の言われる「自己をわするる」とは左脳の働きが静まることに関わるでしょう。

時間については、凡夫は時間というものを「去来の相」(過去・現在・未来)で考えるが、「われに時あるべし」とし、時間を自分の内なるものとされ、「われに有時の而今(にこん)ある」と述べられます。

「而今」とは「今」(現在の一瞬)のこと、従って「有時」の「時」とは「今の一瞬」、「有」の方は「尽有」とも言われ「全存在」を意味します。そしてその時(今の一瞬)と有(全存在)とが「時すでにこれ有なり、有はみな時なり」、すなわち「時=有」と言われます。今の一瞬における有と時であれば、そのよう言えるでしょう。

要するに「過去現在未来はなく今の一瞬だけだ」という主張です。これはテイラーさんが左脳が壊れて右脳だけになった世界です。

道元禅師はこれを坐禅で達成しようとされていると言えないでしょうか。(平成二十七年二月)