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なるほど法話 海 潮 音      


禅 第 4 話  坐禅の目的    

誰が見ても「これは円い」あるいは「あれは四角い」と判断するとき、厳密さを欠くものの一応外界の情報だけで判断していると言えるでしょう。

ところが、「円は好きである」あるいは「四角は嫌いである」と言う場合は、心の中にあるものを持ち出しての判断であり、外界の情報に内面的のものを付け加えての判断になります。このような判断は人によって異なります。

そして、私たちの日常生活での判断は、多くの場合、この後者の内面的なものを付け加えての判断です。実は、この判断がくせものなのです。

しばしば使っている話ですが、ここに清潔なコップがあるとします。これを尿検査に使うと汚れますが、使用後に洗剤でよく洗い、熱湯消毒まですれば、元の清潔なコップに戻ります。しかし、私たちの心は、一旦尿の検査に使ったコップは、それをどんなに洗ったとしても元のきれいなコップに戻ったとは認めようとしません。この点が重要です。

すなわち、内面的なものが付け加えられた判断は往々にして誤っている場合が多いのです。なぜでしょうか。それは、コップが清潔から不潔、そして再び清潔と変化したように、外界のものは絶えず変化しているのですが、私たちの心は、外界に即してその通りに変化しようとはせず、心地よさなど、自分の都合のいいように考えてしまうために、外界の事実とズレを生じてしまうからです。

そこで、正確な判断をしようとすれば、どうしても内面的なものを持ち出すことを止めなければなりません。外界を外界の情報だけで判断すれば正しい判断が期待できるでしょう。そのための方法が坐禅ではないかと思います。

無念無想とか無心という言葉は、何も考えないというのではなく、内面的な心をカットし、逆に外界に対しては百パ−セント心を開いているわけです。このような坐禅の行を重ねることにより、「ありのままに見れるようになる」というのが坐禅の目的かと考えています。(平成9年9月)


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