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なるほど法話 海 潮 音
禅 第30話 今はどこにあるか
「今」とは「現在」のことですが、その「現在」はどこにあるかというのが今回のテーマです。
こんなことをいうと、「現在」とは時間の概念であり、「どこにあるか」というのは空間を問題にすることですから、あなたは時間と空間とをごちゃ混ぜにしてものを言っていると叱られそうですが、そこをこらえて話を続けさせてください。
物理学などでよく使われる「線型時間」というのがあります。無限直線上に任意に点を打って現在とし、たとえば左側半直線を過去とし、右側半直線を未来とします。
現在は過去と未来の接点に位置しており、持続ゼロの点で表されます。そしてこの現在は過去から未来へと移動すると考えられています。これは丁度、時計の針の先端の動きに相当しています。
このような線型時間は物理学などで使われるだけでなく、私たちの常識的な時間観念とも対応していますから、大変便利ですし、正しく時間というものを表しているように思われますが、はたしてどうでしょうか。
この線型時間で最も問題となるのは「現在」(今)が持続ゼロの点で表されていることです。
線型時間では過去と未来はあるが、現在は過去と未来の接点であり、持続ゼロですから在るべきはずの位置が示されているのみで、実質はないことになります。
実は、線型時間というのは過去も未来も含めてすべてが持続ゼロの点時刻で表されますので、正しくは過去も未来も実質的にはないことになりましょう。
しかし、私たちは今現在を実感することができます。これを「ない」とは言えないでしょう。
ところが、昨日の出来事はどうでしょう。確かに「あった」とはいえますが、想起することができるものとしてあるに過ぎません。明日の事についても「あるだろう」とはいえますが、やはり想起することができるものとしてあるに過ぎません。
すなわち過去も未来も想起可能な観念としてあるに過ぎないのです。実は、この想起可能な観念としての過去と未来とをつなぎ合わせたものが線型時間に相当すると考えられます。
線型時間とはこのような観念内容に過ぎないが故に、そこには「現在」というものが存在しえないことになるのだと思います。
では「現在」(今)は一体どこにあるかといいますと、線型時間そのものを観念している自分自身にあるはずでしょう。
そもそも「今」とは、現に生きている者が感じる自分の「今」であり、そのような「今」は自分以外の所にはないと断言できるように思うのですが、どうでしょう。(平成二十年五月)
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