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なるほど法話 海 潮 音
禅 第29話 「今」とは何か(3)
まず前回のまとめです。いのちある私たちにとっての時間は「今」(一瞬の今だけでなく、停滞なく連続して進む今)だけであり、実践もその今においてなされなければならないということ。
私たちの身体はその今の上にありますが、ものを考える心は「今」にではなく、考えている内容に意識を向けますので、間断なく進む今とはずれを生じ、停滞の中に落ちてしまっています。
これでは今の上にいないのですから実践をしていることにはなりません。そこで考えている内容を振り切って、間断なくどんどん進んでいる「今」に意識を集中し、今の上に乗らないといけません。
それができれば身心一如となり、身も心も今の上にあって真の実践が可能となるでしょう。
しかし問題は如何にしてものを考えることを止め、停滞のない「今」に心を乗せることができるか、すなわち、意識を集中することができるかということです。これが今回の問題です。
これはまことに微妙な問題です。もう一度整理して考えてみましょう。
心が何かものを考えている状態(意識が考えている内容に向っていて、考えている内容にとらわれているので、どんどん進む今の時間からずれを生じて停滞の中にいる状態)から抜け出し、間断なくどんどん進んでいる今に意識を集中するにはどうしたらよいかという問題です。
この問題を解決するのにまず取り組むべきことは何かといえば、考える行為を止めようと努力することではないということです。
なぜなら、考える行為を止めようと努力することは、「考える行為を止めよう」と考えていることになってしまうからです。
これでは考える行為を続けていることに他なりません。そうではなくて、どんどん進む今に意識を集中しようと努力することこそ、まずなされるべきことでありましょう。
なぜなら、意識をどんどん進む今に集中することは簡単なことではありませんし、恐らく今に集中すれば、ものを考えている暇なぞ有りえないでしょう。今に集中するか、ものを考えるか、どちらかであって、それらの両立はないように思われます。
今に集中するとき、自ずとものを考える行為から抜け出していることになると思われます。
以上のことから、まずなすべきことは「今への集中」であり、それができれば「考えを止める」ことも同時に達成されるということです。
しかし依然として如何に今に集中するかという問題は解決していません。しかし、これが坐禅の中でなされるということははっきりしているように思います。
正しく坐り「今」に集中しつづけてみて下さい。(平成二十年三月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。