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なるほど法話 海 潮 音
禅 第21話 道元禅師の坐禅論(現成公案)
前回は迷い(苦)の原因は「自己をはこびて」であることをお話しました。
その「自己をはこびて」をはずすことは並大抵なことではありませんが、これができればどうなるか、その点を道元禅師は「万法すすみて自己を修証するはさとりなり」と述べられます。
即ち「自分の勝手な思いをひっさげて対象(万法)を見ようとする態度をやめると、対象(万法)の方からすすんで情報が自分の中に入ってきて対象(万法)のありのままの姿を見ることになる、これが悟りである」ということかと思います。
この場合、自分の勝手な思いを取り下げるのですから、対象(万法)のありのままの姿を見るとは、対象(万法)をそのまま受け入れるということになりましょう。
道元禅師は「現成公案」という言葉を盛んに使っておられます。『正法眼蔵』の一巻名にもなっています。
その「現成」とは現前成就、即ち現前に成立している事実です。
「公案」とは、一般に、禅的な思想を練るために与えられる課題のことですが、元来は「公府之案牘」(官府の調書)にたとえられた公の法則条文のことで、私情を容れず遵守すべき絶対性を意味するとされています。
道元禅師は「公案」を禅的課題の意味ではなく、元来の意味で用いておられますので、「現成公案」とは、現前の事実(現成)を動かしがたい絶対のもの(公案)として無条件にそのまま受け入れること、という意味になりましょう。
従って、先に見た「対象(万法)をそのまま受け入れること」を意味することになり、それは、「自己をはこびて」をやめることによっておのずからもたらされる「万法すすみて自己を修証する」悟りの姿であるわけです。
対象(目の前の現実ということ)をそのまま受け入れることがなぜ悟りなのか、もう一度復習をします。
苦(自己の思うままにならぬこと)というものは、「対象(現実)」(例えば、老、病、死)と「自己の勝手な思い」(例えば、老いたくない、病気になりたくない、死にたくない)とが一致していない場合に起こりますが、一致していれば起こりません。
一致させる方法は一つしかありません。「老い」を止めるわけにはいきませんから、「老いたくない」という勝手な思い(自己をはこびて)をやめて、「老い」という(対象・現実)を無条件で受け入れるしかないわけです。「病」や「死」についても同様です。
それができれば苦が起こりませんから「悟り」(身心脱落)です。
道元禅師は「自己をはこびて」をやめて対象を受け入れること(現成公案)により「悟り」(身心脱落)に到る方法を「自己をわするる」という坐禅として説かれているます。次回はその方法である坐禅(自己をわするる)についてお話します。(平成16年11月)
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