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なるほど法話 海 潮 音      


禅 第 2 話  精進料理    

禅寺の食事と言えば精進料理(なまぐさを含まない料理)と相場は決まっていますが、お釈迦様はどうも肉食をされた様子です。

お釈迦様は悟りを得るために「執着(こだわり)」を捨てることを第一とされました。その結果、耕作によって食を得る生活までも禁止されました。恐らく、もっと沢山の収穫をというこだわりの心が起こるからでしょう。

それではどのようにして食を得られたのでしょうか。経典には「乞食(こつじき)を以て自活す」とあります。すなわち執着を捨てるためにすべてを捨て、身を保つだけの食を乞食すなわち托鉢によって得られたのです。このようにして得られた食物は選り好みせず、何でもありがたくいただくのですから、肉の入った食物もいただかれたことでしょう。

ところが、お釈迦様の時代から数百年後の大乗仏教時代になりますと、生きとし生けるものへの「慈悲の心」が強調され、肉食が禁止されることになりました。

又、仏教が中国に伝わりますと、特に禅宗では、有名な高僧のもとに数百人の修行僧が集まり、托鉢の習慣のなかった中国では一箇所に数百人もが托鉢のみによる生活をしようとしても不可能となりました。従って「耕作によって食を得てはならない」という戒律を破ってまで田畑を耕す自給自足の生活が始まりました。食物を自ら得ることになったのです。

しかし、不殺生戒を守る立場から、自ら得る食物にはなまぐさが含まれないのは当然です。このようにして禅寺では穀物と野菜だけの食事をとるようになり、これが「精進料理」と呼ばれるようになったのです。

しかし、単なる形式的精進料理ではなく、経典に、生き物を殺したり、物を盗んだりする非倫理的行為こそが「なまぐさ」であり、肉食が「なまぐさ」なのではないとか、肉食をしない等の宗教的行為も執着があるうちはその意味をなさない、などと説かれていることを常に思い起こし、「執着」を捨てる精進をしたいものと思います。(平成4年5月)


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