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なるほど法話 海 潮 音
宗教 第7話 苦しみの逃れ方
以前、本紙に苦しみの解決策について書いたことがあります(平成十二年六月号、七月号など)。そこでは、「苦しみ」とは「ある対象(たとえば、病気)が思うままにならない(治したいが治らない)こと」と規定し、更に「ある対象と思うままにしたい心とが一致していない状態」とも書きました。
この状態を解決するためには、両者を一致させればよいわけですから、対象を変えて心に一致させる方法と、心を変えて対象に一致させる方法の二つがあることになります。
前者が普通のやり方で、例えば医療技術によって病気の状態を健康状態に変えて心に一致させる解決法を言います。この場合に注意すべきことは、病気というマイナス状態には、健康というゼロ状態の明確な目標がありますのでいいのですが、人間という動物には、健康なゼロ状態に於いても「苦しみ」はあり得るわけで、例えば、お金のないことを苦しみと感じている人は幾らお金があってもまだ欲しいと思い、苦しみは際限なく続くことになります。従って、対象を変えて心に一致させる解決法は完全な解決法ではないことになりましょう。
一方、二番目の心を変えて対象に一致させる方法については、病気の方には手を出さず、健康でありたいという心の方を、「病気の状態でもよしという心」に変えることになるわけです。これも対象と心が一致し、苦しみは起こらないのですから立派な解決法と言えましょう。
仏教は苦の原因を対象側には求めず、心の側の妄執(渇愛)に求め、それをなくせと説きますから、二番目の解決法こそ仏教の解決法と言えましょう。これは仏教の方法と言うだけでなく、広く宗教(ただし高等宗教)の方法といえると思います。
ところで、心を対象に一致させるやり方ですが、これは対象をそのまま頂くことでもあります。しかしどうしたらそれが可能となるか、そこが問題です。
その具体的方法を最近読んだ本で見つけました。その本とはミッチ・アルボム著『モリー先生との火曜日』(NHK出版)です。一〇七頁に次のようにあります。
「何でもいい、(中略)私が今味わっているような死にいたる病による恐怖、苦痛でもいい。そういった感情に尻ごみしていると(中略)いつもこわがってばかりいることになる。(中略)ところが、そういった感情に自分を投げこむ、頭からどーんととびこんでしまう(中略)そのときはじめてこう言えるようになるんだ。『よし、自分はこの感情を経験した。その感情の何たるかがわかった。今度はしばらくそこから離れることが必要だ』」 (平成15年10月)
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