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なるほど法話 海 潮 音      


宗教 第 3 話  信仰と救い    

『観音経』というお経をご存じと思います。このお経は、観世音菩薩がさまざまな苦悩に苦しんでいる私たちを救って下さることを説いたお経です。

このお経の始めの処に、なぜ「観世音」と言うのかという問がありまして、世間の苦悩する人々が一心に観世音菩薩のみ名を称えば、観世音菩薩はその世間の音声を観じて、彼らを救って下さるから観世音というと説かれています。

すなわち、苦悩にあえぐ私たちが、南無観世音菩薩、南無観世音菩薩、・・・と一心にみ名を称えば(一心称名)、その音声を観じて、私たちを救ってくださる方が観音さまだというのです。

そこで、一例をご紹介致しましょう。昭和62年、当時の三井物産・マニラ支店長の若王子信行さんが身代金目当てに誘拐され、金員支払後に137日間の監禁から無事解放された事件がありました。

帰国後、若王子さんは、苦しかった倉庫での監禁生活の様子を次のように述べておられます。「私は昔から浅草の観音さまによく行っていた。倉庫の片隅に観音さまがあると想像して毎日祈っていた」(朝日新聞)。

監禁中、若王子さんは137日で終わりだとは思ってはおられなかったでしょう。いつ果てるとも知れなかったはずです。そんな監禁生活を百数十日間も耐えることが出来たのは、それは観音さまに祈っておられたからにほかなりません。

しかし、「昔から浅草の観音さまによく行っていた」と述べておられるように、災難に遭う前から観音さまを信仰しておられたのです。だから倉庫の中でも信仰を続けることができ、救われることにもなったのでしょう。

『観音経』にはつづいて「若し是の観世音菩薩のみ名を持つこと有らば、たとい大火に入るとも火も焼くことあたわず」と説かれます。「み名を持つ」とありますから、常日頃、南無観世音菩薩と称えているという意味でしょう。救われるとは、常日頃、信仰することによって災難に負けない自分を用意しておくことではないでしょうか。(平成6年6月)


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