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なるほど法話 海 潮 音
宗教 第 20 話 御法事とは
正月早々、御法事のお話です。お葬式の時、授戒という儀式によって、故人の「みたま」は仏の子となられます。
亡くなられてから満一年が一周忌です。その後は数えで、満二年が三回忌、そして七回忌、十三回忌、十七回忌、二十五回忌と続き、弔いあげ(最終年忌)が三十三回忌です。
これは民俗学的に言われる「みたま」が約三十年でカミになるという考えと重なっているようです。
実際のところ、世代の差はほぼ三十年ですから、亡くなった親の三十三回忌を済ますと、亡くなった親と大体同じ年齢になり、今度は自分がされる側に回るということも関係しているかも知れません。
ともあれ、仏教的には各年回忌でお経を読み、そのことによって積む功徳を故人の「みたま」に捧げ、年回忌を重ねるごとに徐々に仏の覚位に近づき、三十三回忌で遂にその覚位に到達し、仏の子が仏となられるという訳です。現在では三十三回忌のあと、五十回忌まで一般に行っています。
仏教では読経の功徳を故人の「みたま」に捧げることを「回向」(えこう)といい、読経の後に必ず「回向文」をお唱えします。
御法事の回向文の最後には「覚路に登らんことを」とありまして、仏の覚位に登りついて下さいという願いが込められている訳です。
いわゆる御法事とは、こんな風ですが、少しばかり付け加えてみたいと思っています。
御先祖様となられた方々への私達の思いは、仏の子から覚位への願いだけでなく、命を伝えて下さったことへの感謝の気持ちも同時にありましょう。
私は「願い」と「感謝」とを合わせて、御法事とは御先祖様へ「ご安心」を頂く法要だと思っています。
願いの方は縷々述べました。感謝の方はどうでしょう。御先祖様はきっと命を授かった私達(遺族・親族)が元気で明るく過ごしてくれることを何よりも願っておられることと思います。
その御先祖様の思いを日々の生活を通して叶えて差し上げることこそ、御先祖様にご安心をいただけるのではなかろうかと思っています。
道元禅師様は仏法を伝えて下さったお祖師様方への感謝の仕方について、「その報謝は余外の法はあたるべからず」「ただまさに日日の行持、その報謝の正道なるべし」(『正法眼蔵』行持下)と述べておられます。
この道元禅師様の述べられるお祖師様方への感謝とは、一般の人々にとっては、命を伝えて下さった御先祖様への感謝と捉え直すことができましょう。
御法事のとき「御先祖様にご安心をいただける日々を過ごす」という思いを起こすことができれば、きっと真の御法事となるように思います。(平成二十八年一月)
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