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なるほど法話 海 潮 音      


宗教 第 2 話  信じる」と「まかせる」    

キリスト教では「信じる者は救われる」と説かれます。どういうことでしょうか。例えば、病気になった人が、神を信じて病気が治るといことではありません。キリスト教で説く「神を信じる」とは、徹底的に信じることで、病気も神の恵みと信じることだと説かれます。

それは、山登りのとき、途中の道が険しくて苦労が大きければ大きいほど、頂上での喜びも大きいように、神は決して悪いようにはされないと徹底的に信じれるとき、病気も神が与えて下さった人生途中の険しい道であり、険しければ険しいほど、喜びも大きいわけだから、病気に対していやだとか、早く治りたいとか思わなくなる。これが救いの状態だというのです。

すなわち、「神を信じる」とは、「自分を神にまかせきる」ということだと思います。神におまかせした自分が病気になるのだから、病気はいやだ、早く治りたいと思う必要はなくなり、病気をそのまま受け入れられるから「救われている」ということになるのだとということでしょう。

仏教者にも同じような発言があります。愛知専門尼僧堂堂長の青山俊董さんはご自分が癌の疑いのある手術をされるとき「病気も仏さまからの授かり物と気付かせてもらった」と言っておられます。そして、首を除く全身麻痺の星野富弘さんという方が病床で語られた少年時代の思い出話を紹介しておられます。

少年が古里の渡良瀬川の浅瀬で水遊びをしていたら、深みに押し流され、あわてて元の岸に戻ろうとしたが溺れそうになり、そのとき、ふと気付いたことは、渡良瀬川は元々浅瀬の多いゆるやかな川だから、浅いところは他にもある。何もあそこに戻らなくてもいいと。そこで流れにまかせて泳いでいくうちに浅瀬で助かった。

この少年時代の思い出と、いま全身麻痺の病気であえいでいる自分とを重ね合わせて、また気付いた。元に戻れない病気であれば、今できることは何か。ただほほえんでいることだ。そこから出発するんだと。

蛇足を加えます。健康体の自分にこだわらず、病気に身をまかせきるとき、おのずと救いの世界が開けてくる、ということでしょう。(平成10年12月)


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