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なるほど法話 海 潮 音      


宗教 第 18 話  報 恩
    


 ご法事などの折にお檀家様とご一緒に『修証義』をお読みしておりますが、その『修証義』の第五章には「行持報恩」(ぎょうじほうおん)というタイトルがついています。

「行持」とは語義としては「修行を持続すること」の意ですが、「悟りを開かれたお釈迦様の生きざま全体」といえましょうか。

これがそのお弟子の摩訶迦葉尊者に伝えられ、代々伝えられて何十代か後に如淨禅師(にょじょうぜんじ)にまで伝えられ、この如淨禅師よりお釈迦様以来の仏法が道元禅師に伝えられたのであります。

道元禅師はお釈迦様以来の仏法が多くのお祖師様方のご努力によって自分たちの時代にまで伝えられたことを「仏祖面面の行持より来れる慈恩なり」(仏や祖師方が弟子と共に行じる在り方で真実を伝えられた慈恩である)といわれています。

そして又「(この)大恩これを報謝せざらんや」ともいわれています。この「大恩」、すなわち「慈恩」に「報謝」することが「行持報恩」の「報恩」ということになります。

ところで、その慈恩にどのようにして報い(報謝し)たらよいのかが問題です。その点について道元禅師は「其報謝は余外の法は中るべからず。唯当に日日の行持、其報謝の正道なるべし」と説かれています。

これによると「日日の行持」が「報謝の正道」であるということですから、自分たちの日々の修行を通じて慈恩に報いるのであるということになりましょう。

そのような修行とは、他ならぬ仏祖方がなされてきた「仏祖面面の行持」(仏や祖師方が弟子と共に行じる在り方)ということになるかと思います。

 仏教は基本的には出家主義ですから、師と弟子との間に血縁関係はありません。しかし、師と弟子とは「法」(仏法)で結ばれ、師から弟子へ法が流れているわけで、その法を自分に伝えてくださったお師匠様、その上のお師匠様、そしてそれはお釈迦様にまでつながっているわけで、その方々に報恩感謝の真を捧げるべきだと仰っているわけです。

このことは特に私たち僧侶の側の問題ですが、お檀家の皆様方にとっては、「法を伝えてくださった仏祖」とは「命を伝えてくださった御先祖様」に相当するかと思います。

その「命を伝えてくださった御先祖様」には当然のことながら報恩感謝の真を捧げねばなりません。

ご法事のお勤めによって御先祖様を敬い感謝するだけでなく、亡くなった親というものは、我が子が元気に明るく過ごしてくれることを何よりも願っておられることと思います。この亡き父母の願を日々の生活を通して叶えて差し上げる、これにまさる報恩感謝の真はなかろうかと存じます。(平成二十六年十月)
     

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