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なるほど法話 海 潮 音
宗教 第 16 話 祈る
「祈」という漢字は「望むところに近づきたいと神にいのる」(『学研漢和大字典』)と説明されています。
「望むところ」は色々でしょうが、現代ではその多くを神に祈るのではなく科学技術というものによって達成しているように思われます。ですから現代人は余り祈らなくて済むわけです。
しかし、どうしても手の届かないところのことは祈るしかありません。たとえば、「死後の冥福」などは祈るしかないでしょう。
「祈る」ことについては現代人よりも古代人の方が勝っていたように思われます。
考古学者・芹沢長介さんがご自身のご著書『石器時代の日本』(築地書館、一九六〇年)の中で「日本の縄文土器は世界最古である」と主張されましたが(当時としては確かに世界最古であったそうです)、函館市南茅部地域の六五〇〇年前(縄文時代早期末)の垣ノ島A遺跡から出土した土器の中に「足形付土板」(子どもの足形を粘土板に写し取り焼いたもの)があります。
これは阿部千春・函館市縄文文化交流センター館長によると「死んだ子どもの足形」なのだそうで、成人のお墓から出土しており、そのお墓は足形の子どもの親のお墓であろうと考えられているとのことです。
わが子の形見としてお祀りしていたのでしょう(安田喜憲『生命文明の世紀へ』第三文明社、二〇〇八年参照)。縄文人の先立ったわが子への思いが伝わってくるようです。
恐らく同じ趣旨のものと思いますが、当山の地蔵堂には千数百体の小さな木彫りのお地蔵様がお祀りしてあります。
裏に書かれている日付(恐らく命日)は江戸時代から新しいもので昭和初期のものまであります。亡くなったわが子の冥福を祈ってお祀りされているのでしょう。
お寺の過去帳を見ますと、昔は子どものお戒名が沢山目につきます。しかし戦後二十年近く経った頃から減り始め、ただ今では子どもの病死による葬儀というのはほとんどありません。医学進歩のお蔭なのでしょう。「祈る」ことが減った所以です。
しかし、私はこの「祈る」ことを大切にしたいと思っています。「困ったときの神頼み」という言葉がありますが、困ったときだけでなく、日頃の祈りが大切だと思っています。
進歩した現代文明にあっても、いつ病気になるか知れません。交通事故だってあります。飛行機が落ちるということも無いとは言い切れません。平穏な生活を踏み外す要因はいくらでもあります。
日頃から「祈る」という習慣を持つということは、その「祈る」という行為によって、自らの生活態度を日々正すことにつながるように思うのです。 (平成二十六年七月)
音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。