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なるほど法話 海 潮 音
宗教 第 14 話 ご先祖様
日本人は無宗教だといわれる場合があります。しかし、このときの「宗教」の意味が問題です。
それは、私たち日本人が素朴な意味で宗教と感じている宗教ではなく、キリスト教やイスラム教、そして仏教といった世界宗教とされているものを意味しているように思われます。
日本人の多くは形式的には仏教徒ということになりましょう。その教理は何かと聞かれたとき自信がなくなり、無宗教ということになってしまうのではないでしょうか。
確かに日本人はスラスラ教理を説明できるような信者は少ないかと思います。しかし御盆の季節になると日本人が大移動するのを見ると、日本人が無宗教であるとは決して思われません。ちゃんとした宗教心を持っているのだと思います。
それは恐らく「ご先祖様」という宗教心なのではないでしょうか。
この「ご先祖様」という宗教心にはどのような意味があるのでしょうか。
インドでは人が亡くなると火葬にして、その灰をガンジス川に流しますので、先祖を祀るということはしないようです。
インドの仏教が中国に入り、そこで根付くために中国の宗教である儒教と習合して仏教的先祖供養が成立し、それが更に日本に入って日本的に定着したと考えられます。
儒教の専門家である加地伸行先生によりますと『礼記』(らいき)という書物に「身は父母の遺体なり」と書いてあるそうです。
この「遺体」(いたい)という言葉の意味は「死体」という意味ではなく、文字通り「遺(のこ)した体」の意で、「私の身体は父母が遺した身体である」という意味になるそうです。
すなわち、自分の体は自分のものではなく、親が遺してくれた体であると自覚するという意味が含まれているわけです。
「親が遺した体が子としての自分の体である」という考え方は、命の連続を説くと同時に、その命は自分の命ではなく、太古から続いた命を、今、自分が担当して生かしてもらっているという意識を意味しているでしょう。
そこには単なる感謝以上の意識を感じざるを得ないように思います。
「ご先祖様」という意識は、単に血のつながった昔の人という意識ではなく、今、自分として生きている命を過去において生きてきた人々という意識ということになりますから、簡単に言葉で表現できないような深い意味を感じます。
そのような深い意味を持つ「ご先祖様」を核とする宗教心を私たち日本人は持っているのです。
この意識は欧米人には簡単には解らないかも知れません。だからといって自分は無宗教なのだろうかと思う必要は全くありません。堂々と「ご先祖様」を大切にしたいものと思います。(平成二十五年六月)
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