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なるほど法話 海 潮 音
宗教 第 10 話 松陰先生の死生観
松陰先生の死生観は妹千代に宛てた手紙の中で述べられている「死なぬ人々の仲間入り」をすることに尽きるのではないかと思います。
同じ手紙の中で「死なぬ」を「釈迦の孔子のと申す御方々は今日まで生きて御座る故、人が尊みもすれば有難がりもする、おそれもする。果たして死なぬではないか。」と説明されていますから、肉体が死んでも人々に精神的に影響を与え続けることが「死なぬ」の意味となりましょう。
従って、松陰先生においては肉体の死はさほど問題ではなく、精神が死なぬこと、生き続けることが重要な問題となっていることが知られます。
このような死生観の理論的根拠について、松陰先生は朱子学や陽明学でいう理気の説を使い、ご自身の「七生説」と題する文の中で「天地が永遠であるのは理があるからであり、先祖子孫が綿々と続くのは気があるからである。人間がこの世に生まれると、理を心とし気を体として生まれる。体は私的な存在であるが、心は公的な存在であり、私的な体を公のために使う者を大人(すぐれた人)といい、公的であるべき心を私的に使う者を小人(つまらない人)という。」(筆写による現代文)と述べておられます。
ここに述べられている、私的な体を公(心=理=永遠なるもの)のために使う大人の生き方が、永遠なるものとして生きる生き方であり、「死なぬ人々の仲間入り」をすることとなるわけでしょう。
しかしこれはあくまで理屈であり、この理屈を知っているからといって「死なぬ人」となるわけではありません。そうなるべき実践が必要です。
松陰先生は処刑される年の江戸行きに当って、小田村伊之助(楫取素彦)に与えたものの中で「至誠にして動かざる者未だ之れ有らざるなり」という孟子の言葉を挙げ、
自分は学問を二十年し、三十歳になったが、「未だ能く斯の一語を解する能はず」と述べられ、自分はまだ真に人を動かした経験がないから、江戸での幕府の尋問に対し「身を以て之れを験さん」(体を張って孟子の言葉の真偽をためそう)という意気込みで、
「生死は度外に措きて唯だ言ふべきを言ふのみ」(高杉晋作宛の手紙)の如くに、誠を尽くして幕府の役人を説得され、更には死罪となるであろう二件(大原西下策と間部策)をも自首され、微塵の私も無く国を思う心のみの公に徹する大人の生き方を示され、従容として刑場に向かわれました。
松陰先生の至誠の実践は幕府の役人を動かすことはできませんでしたが、その至誠の死は確かに門下生を動かし明治維新の原動力となったのでした。(平成18年5月)
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