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なるほど法話 海 潮 音      


社会 第 8 話  いじめの構造    

「いじめ事件」が頻発し社会問題となっていますが、これは戦後の日本が経済成長を第一に考え、教育もこれに足並みをそろえさせられた構造的なものだという教育評論家・無着成恭さんの発言がありますので、ご紹介いたします。

日本は、昭和20年8月15日の終戦を境に「天皇陛下のために命を捨てることが、悠久の大儀に生きることだ」という教育から「天皇陛下のために死ななくてもよい」となり、何をしてよいかわからない時代になったと言われるのですが、無着さんは、これは自分のために死んでもよい、自分で生き方を決めろということだと考えられ、「人間の教育」の可能性を切り開くべく『山びこ学校』を始められたのだそうです。

しかし、敗戦によって日本は一文無しとなり、そこから這い上がろうとする必死の努力は、更にその上の経済先進国を目指すこととなり、そのために教育の世界に競争原理が持ち込まれテスト体制が敷かれることとなりました。それは昭和36年、池田首相の「所得倍増論」で始まるとされます。

これが「人間の教育」の可能性をたたきつぶしたのだと無着さんは告発されています。そして、このテスト体制が完成するのは、共通一次テスト(昭和54年)の実施と、養護学校の義務制の発足によるのだそうです。

後者は、偏差値を上げるために健常児の子供の中から競争に耐えられない子供を見えないところへ移すと言う制度で、共通一次テストの実施が表ならば、養護学校の義務制は裏にあたり、この表裏の関係が、日本の「いじめの構造」であり、経済成長のためには、じゃまものは消していく。思いやりだとか、親切心などというのは、お金もうけのじゃまにこそなれ、やくにたたない、と考える教育が戦後のテスト体制の教育だと訴えておられます。

戦後50年という節目の年に当たり、日本はどんなあゆみ方をしてきたのかを考える傾聴すべき意見の一つではないかと思います。(平成7年4月)


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