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なるほど法話 海 潮 音      


社会 第 5 話  人権と相互扶助    

仏教では「縁起」ということを説きます。しかし、「縁起が良い」「縁起が悪い」という場合の「縁起」や「○○寺縁起」などというのは派生的な用例でして、本来の「縁起」という言葉は、ブッダの悟りに直結したものとして説かれています。

一般に「縁りて起こること」すなわち「関係性」と説明されていますが、ある「もの」が有って他と関係することではなく、関係性が有ってその上に「もの」が成り立つことをいいます。繰り返しますと、「関係性」というものとは無関係に、まず「もの」が有って、その存在する「もの」が他の存在する「もの」と関係を結ぶというような考え方が否定され、関係性の上にのみ「もの」は存在し、関係性が無くなれば、その「もの」も存在しえなくなる、ということを「縁起」と言います。この「縁起」の考え方にもとづきますと、「自分が先ず存在して、それから他と関係する」ということが否定され、「他との関係の中に自分が存在する」ということになります。自分が可愛かったら、自分を存在させてくれている他との「関係」を大切にするということになります。

先日テレビで、岡山に本部のある国際医療ボランティア「AMUDA」(アジア医師連絡協議会・菅波 茂代表)の紹介番組を見ました。代表の菅波さんは、国連に表彰されるまでに育った「AMUDA」の苦労話しておられましたが、その中で、国際ボランティア活動については、ヨ−ロッパ勢が実績を積んでいるけれども、彼らは「人権」という観点で活動を行うが、自分達は「相互扶助」、すなわち「助け合い」という精神で活動を行う。そうするとアジアの人々の自尊心を傷つけることなく活動することができ、彼らも心を開いて受け入れてくれる、という話でした。

ヨ−ロッパの「人権」に対して、アジアの「相互扶助」の精神は仏教の「縁起」思想につながっているようです。これからの国際的なボランティア活動の在り方を示唆しているように思います。(平成7年10月)


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