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なるほど法話 海 潮 音      


社会 第40話  犠牲のシステム   


 高橋哲哉さんの『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、二〇一二年)を読みました。

 この本では、昨年の東日本大震災による福島の原発事故は、原発推進政策に潜む「犠牲」のありかを暴露し、沖縄の普天間基地問題は日米安保体制における「犠牲」のありかを明らかにし、経済成長や安全保障といった国家という共同体の利益のために誰かを「犠牲」にするシステムは果たして正当化できるのだろうかという問いを投げかけています。

 まず、高橋さんの「犠牲のシステム」の定義を簡略化して述べますと「犠牲のシステムでは、或る者の利益が他の者(もの)を犠牲にすることによってのみ生み出され維持される」となるかと思います。

 高橋さんは福島原発事故を通して原発という犠牲のシステムには大別すると四種の犠牲があるとしています。

 第一は、今回の事故で明らかになったように、一旦事故が起こると立地県民(及び隣接県民)は多大な犠牲を強いられるということ。

 第二は、原発は被曝労働者の存在を前提にしてしか存在し得ないということ。静岡浜松原発で働いていて被曝し、1991年に白血病で亡くなった嶋橋伸之さんは8年間の累積被曝量が50.93ミリシーベルトだった(藤田祐幸『知られざる原発被曝労働』)とされますが、昨年3月17日前後、細野豪志首相補佐官(当時)は被曝限度が「250ミリシーベルトでは仕事にならない」と引き上げを求め、さらに菅首相(当時)は「500ミリシーベルトに上げられないか」と望んだとされます(毎日新聞、7月25日)。末端の原発労働者は見捨てられていたといわざるを得ないでしょう。

 第三は、原発の核燃料の原料となるウランの採掘現場で被曝の犠牲が引き起こされているということ。

 第四は、原発というものは危険な放射性廃棄物(核のゴミ)を出す代物ですが、これがどんな犠牲を生み出すかはまだ誰にも分かっていないということ。

 以上は高橋さんが述べる原発に関する四種の犠牲の要点です。原発とはこのような「犠牲のシステム」だということです。

 表向き国家という共同体のために必要だと説かれますが、内実は犠牲を強いられる被差別者の存在なくしては存在し得ないものであることが明らかです。

 釈尊のそして道元禅師の「同事」という教え(相手と自分は元来一つのものであり差別するいわれはないという教え。禅、第41話)を頂く者としてこれは明確に批判し反対せざるを得ないでしょう。

 同事という教えは単に差別をしないようにしましょうというのではなく、現実に潜む差別に対し活眼を開いて対峙するとき、真に力を発揮するものとなるように思います。(平成24年8月)
 

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。