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なるほど法話 海 潮 音      


社会 第25話  寺子屋を見直す    

 先般(5月4日)、東京から「バッカーズ寺子屋」の一行25名が当山に坐禅をしにやってきました。昨年に続き2回目です。

「バッカーズ」というのはバックアップをする人々という意味で、セコムの飯田亮会長を中心に、麻生ラファージュセメントの麻生泰さんら財界有志の方々が組んでいるファンデーション(財団)だそうで、その中に教育事業委員会があり、日本の教育を何とかしようという議論の中でできた寺子屋が「バッカーズ寺子屋」(10歳から15歳までの男女生徒)なのだそうです。

当山には毎年、萩青年の家経由で10校くらいの学校が坐禅に来ますが、今年のバッカーズ寺子屋のメンバー(第2期生)は直接やってきました。

なぜ今寺子屋なのかについて塾頭の木村貴志さんと上智大学名誉教授の渡辺昇一さんとの対談が『別冊正論Extra.03』(平成18年7月)に掲載されています。それを参照しながら考えてみましょう。

 江戸時代には現代のような画一的な学校制度はなく、各藩の藩校も内容はそれぞれでした。また私塾や寺子屋が数多くありましたが、それらは勿論、異なったことを目指し教えていました。

それが明治時代に入ると多様性が一掃され国民一律の教育に向かいました。それにはそれなりの理由があったのです。

幕末に欧米列強に独立を脅かされた日本が、国民一律の教育によって日清・日露の戦争をくぐりぬけ、半世紀足らずで世界の五大国にまで上り詰めることができたからです。

しかしそのような画一的な方向性は先の戦時体制で極限に達し、戦後は中身が経済に変わったものの画一性はそのまま存続し「経済戦士」の名のもとに経済大国を築き上げ現在に至っています。

対談の中で渡辺さんは「学校の荒廃という現象が深刻化し始めたのは20年くらい前からだと思う」と述べ、その理由について「ある時代までの要請でなされてきた教育が、新しい時代の要請を前に行き詰まったのではないか」「個人の希望、能力に応じて多様化をはかることが必要なのではないか」「人間はみな等しく生まれてこないのです」「生徒の側からは先生を選べなくなった」「また先生の側から言えば、教え子を『破門』する権限がなくなってしまいました」と述べています。

これができるのはやはり規模の小さい私塾や寺子屋でしょう。塾頭の木村さんも同対談で「教育の根幹は、人間としての志や心意気に行き着くものでなければならないと思います。その上で、子供にどのような才能があるか見つけ出し、伸ばしてやるのが大人の責任なのだと痛感しています」と述べています。(平成19年6月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。