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なるほど法話 海 潮 音
社会 第24話 「いじめ」と「同事」
いじめが自殺にまで発展し深刻な問題となっています。いじめは昔からあったでしょうが、それで子供が自殺するようなことはなかったと思います。
私が子供の頃は、子供はみな外で遊んでいました。ガキ大将がいて子分がいて、上下関係はけっこう厳しく、れっきとした子供社会があったように思います。
その中で、嬉しいこともあれば悲しいこともあり、喧嘩もあり、いじめもありました。しかし、すべては子供社会でのできごとであり、親が顔を出すことはなく、子供たちで処理されていたように思います。
ところが近年はその子供社会がなくなってしまったように思えます。田舎にいても外で子供たちが遊んでいる姿を見かけません。いったい子供たちはどこへ行ってしまったというのでしょうか。
昔は、子供社会(遊びの世界)から出れば、そこにはいじめのない別の世界がありました。だから、いじめられても四六時中いじめに苦しむということはありませんでした。
ところが現代はどうも子供社会が存在していないようで、いじめが学校といった大人による管理社会の中で行われています。
すると、現代は大人の管理社会だけしかありませんから、そこでいじめが行われますと、いじめのない別の世界に逃げ込むわけにはいかず、いじめに苦しみ続けることになり、自殺にまで追い込まれてしまっているのではないでしょうか。
現代は大人の管理社会でいじめが行われているのですから、そこから逃げ出し、受け入れてもらえる真の大人社会が求められることになりましょう。
そこで道元禅師の『正法眼蔵』菩提薩F四摂法(ぼだいさったししょうぼう)の巻に説かれる「同事」(どうじ)のおしえが参考になりそうです。
「同事をしるとき、自他一如なり。・・・海の、水 を辞せざるは、同事なり。・・・このゆえに、よく 水あつまりて海となり、・・・ただまさに、やはら かなる容顔をもて、一切にむかふべし。」
これによれば、同事とは自他一如の意味ですが、その自他一如の様子は、海がどんな水でも受け入れるが故に海となる如く、如何なる違いがあっても受け入れ、そして同じように付き合う事によってもたらされる一如の意味であることが知られます。
「いじめ」が少しの違いをあぶり出し、はしゃぎたてて差別しぬくという意味だとすると、「同事」のおしえは全く逆の精神を説いているといえましょう。
この同事のおしえにもとづく真の大人社会を急ぎ建設し、いじめにあった子供たちをやさしく迎え入れる必要があるのではないでしょうか。 (平成19年5月)
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