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なるほど法話 海 潮 音      


社会 第22話  滅私奉公    

 「滅私奉公」という言葉があります。意味は、私心をなくし公に一身をささげて仕えることですが、この言葉も使い方によって意味が相当違ってくるようです。

 「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」と説く山本常朝の『葉隠』では、「奉公人は一向に主人を大切に歎く迄也」(奉公人としての武士のあり方は、ひたすら主人を思いやることに尽きる)とありますから、「公」とは主君の意味であり、「私」が「公」を思いやる自発的な奉公であって、恐らく本来の滅私奉公的思想と考えてよいかと思います。

 しかし、世の中に普及した、いわゆる「滅私奉公」の考えは、「軍人勅諭」(明治15年発布)や「教育勅語」(明治23年発布)に見られる考えで、この場合の「公」とは天皇や国家の意味であり、天皇の名の下に発布されたものですから、上からの強制であります。

「滅私奉公」的考えが上から強制され、しかも教育の現場でそれが実行されると如何なる事態となるか、60年前の日本国民全体が人体実験させられました。

このように「滅私奉公」的考えが「私」の立場から発せられるか、「公」の立場から発せられるかで、似て非なるものとなるということです。

 「公」が、いわゆる「公共」の意味の場合はどうでしょうか。

米国の社会学者チャールズ・A・ライクは『システムという名の支配者』(広瀬順弘訳、早川書房、一九九八年)の中で、われわれが全身麻酔で手術を受けるとき、あるいは航空機の乗客となるときなど、医者や操縦士といった専門家に身をゆだねることになるわけですが、そうした場合に、「専門家は自分を信頼する人々の利益に個人的な利益や都合を優先させてはならない」と述べています。

すなわち専門家が最優先すべきものは公衆の安全や健康、福利といったいわゆる「公」の最重要部分であるとの指摘であります。もっともなことでありましょう。正しく「滅私奉公」的考えが述べられているものと思います。

ところが、最近の日本においては、耐震偽造事件、官製談合事件、ライブドア事件など専門家が公を欺いて私利私欲に走る事件が続出しています。

これは、軍国主義時代の「滅私奉公」が否定されると、短絡的にその反対の「滅公奉私」(日高六郎『戦後思想を考える』の言葉)的な、私生活優先の考えに走り、「公」という倫理観が薄れてしまう風潮の中での出来事のように思われます。

原野では生きれないくせに、柵が壊れたからと外に暴れ出て、好き勝手をしているあわれな家畜の如くです。     (平成18年4月)

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