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なるほど法話 海 潮 音      


社会 第20話  子どもの遊び、昔と今    

先日、日曜雑貨スーパーでの買い物のついでに、熱帯魚コーナーをのぞきましたら、一番端にメダカを売っていました。私が子どもの頃はメダカなんて川で捕るもので買うものではありませんでしたが、今は買うもののようです。

珍しさと懐かしさで20匹ほど、餌と金魚藻と一緒に買いました。早速、庭の大きめの手水鉢で飼うことにしましたが、メダカを手水鉢に移すときコツがあります。手水鉢の水温とメダカの入ったビニール袋の水温とが同じになるまで待って移すのです。

ともあれ、メダカは手水鉢の中で元気に泳いでいました。10日ぐらい経った頃でしょうか、金魚藻に何か着いています。卵かも知れないと、プラスチック製の簡単な水槽を求め、卵らしきものの着いた金魚藻を移しました。

翌日見てびっくり、もうメダカがかえっていました。体長5ミリくらいのメダカが泳ぎ回っています。いい大人がメダカを相手に夢中になっているわけですが、子どもに返ったような気持になって、ふと子どもの遊びについて考えてみることにしました。

東京工業大学教授の仙田満さんは『子どもとあそび』(岩波新書)の中で「子ども時代とは人生で最も重要な時代」と述べておられます。

その仙田さんは仲間の建築家に子ども時代のあそびについてアンケート調査をされ、ある建築家が「私たちの子ども時代は、さまざまな直接体験ができた時代。それに比べ今の子どもたちは、テレビやテレビゲームで疑似体験しかできない」と心配している、と報告しておられます。

「直接体験」とは野外で直接自然に触れる体験を言うのでしょう。また「疑似体験」とはいわゆる「バーチャル体験」、即ちブラウン管内での体験を言うものと思います。

仙田さんは同書の中で「育った地域が異なると、全く異なる経験をしているのである。当然のことながら、海に育った子ども、山に育った子ども、町に育った子どもではあそびが違う」と述べておられますが、この自分のまわりの「自然」に合わせた遊び、これが「直接体験」の本質だと思います。

一方「疑似体験」の本質は何かと言えば、単にブラウン管内の体験を言うのではなく、例えば、あるテレビゲームが爆発的にヒットした、という例で分かるように、「人間」の好みの方に合わせた遊びが「疑似体験」の本質だと思います。

子ども時代が人生の重要な時代となるのは、直接体験で自然から何かを学ぶからでしょう。現代社会はあらゆる面で「自然」よりも「人間」の方が優位に立っています。ですから、子どもには殊更に自然の遊びを提供できるよう、考えていく必要がありそうです。(平成15年8月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。