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    なるほど法話 海 潮 音      
自然 第20話  カラス




 当山は明治7年に本堂他伽藍の大半を焼失し、明治16年に旧観に復したとされますが、その際、本堂として旧萩藩の藩校明倫館の聖廟(嘉永二年〈1849〉再建)を購入移築し現在の当山本堂となっています。

移築した聖廟は焼失した本堂より一回り小さかったため、焼失した本堂の礎石を残したまま埋め立て、その上に聖廟(現在の本堂)の礎石があるという二重の礎石になっています。

本堂の正面では現在の礎石から5,6メートル前に更に本来の礎石がありまして、その礎石に沿うようにもみの木が植えられています。

その横に簡単な石碑がありまして、明治37年に小野五右衛門(元日本共産党第一書記・野坂参三の実父)と上田伊八(西田町陶器店の御先祖)の両氏により25本が植えられたことが書かれています。

植樹されたもみの木は現在では境内に六本しか残っていませんが、本堂前に植えられたものは地上150センチあたりで幹周りが2メートルもあります。そのもみの木は海からの潮風が当たるためか、天辺あたりはすっかり枯れてしまい、葉が全くありません。

そこへカラスが巣をかけました。4月末日当たりに卵を産んだのでしょうか。そのころから温めはじめている姿がチラチラ見え始めました。

カラスは一夫一妻制で夫婦が協力して子育てをするそうですが、確かに一羽は巣で卵を温め、もう一羽は巣から2,3メートル離れた枝に留まって見守っているような姿がよく見かけられます。

5月11日の午後から12日にかけて萩では低気圧の通過にともないひどい嵐でした。

強風でもみの木の天辺はかなり揺れていました。卵を守るカラスはさぞ必死だったことでしょう。

散々強風が吹いた後は、今度はひどい雨です。カラスは自分が傘になって卵を守らねばなりません。

自然界の生き物は皆体を張って生きているわけで、これを大変だと思うのは人間が自然界からはみ出して生きているからではないかと、ふと思ったりしました。

ともあれ、嵐はおさまり平穏な夕暮れがやってきました。今度はそこへカラスの大群がやってきました。

萩に住むカラスの大半は三角州の海側の端に位置する指月山(しづきやま)をねぐらとしています。おそらくねぐらに帰る途中の群れなのでしょう。

しかし大群のカラスは何をしでかすか分かりません。そんなことを心配したのか、見張り役の一羽がサッと群れに向かって飛び立ちブーメランのようにもみの木に帰ってきました。

威嚇だったのでしょう。群れのカラスは知らん顔の様子です。おせっかいのようですが、私が追っ払っておきました。 (平成26年6月)

    

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