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なるほど法話 海 潮 音      


自然 第13話  自然
    

 今年はまことに暑い夏でした。温暖化によるのだとすれば、自然を責めるわけにはいきません。今回はその「自然」について考えてみたいと思います。

日本語としての「自然」は複雑な意味を持っているようです。それは漢語の「自然」の意味と、ネイチャー(nature)の訳語としての意味の両方を含んでいるためのようです。

前者は中国の伝統文化を背景に持っていますし、後者は明治時代になってからですが、西洋の文化を背景に持っています。

西洋文化の背景について簡単に触れておきますと、聖書に、神が世界を創造するとき、自分たちに似せて「人間」を造り、それに「その他の存在物」を治めさせよう、と言ったとされています(創世記)。

このような「人間」に対立する「その他の存在物」がネイチャー(自然)です。従って、ネイチャーの訳語としての「自然」の意味は「人間以外のもの」ということになるでしょう。ですからこの場合の「自然」は名詞であります。

一方の漢語としての「自然」は、「自ずから然る」(おのずからそうなっている)という意味であり、それは人為(人間の作為)が無いということを意味しています。人間が手を加えなくてもそのようになっているということです。

雄大な山、美しい川、緑豊かな草木は人間がそうしたのではなく、おのずからそうなっている(自ずから然る=自然)のであります。

従って、漢語の「自然」は、日本語としては「自然に」とか「自然の」として使われる副詞や形容詞であります。

たとえば、春に梅が咲くとき「梅が自然に咲く」といいます。これは人間が何も手を加えないのに咲くので「自然に咲く」といった表現になるのでしょう。人間がかすかに驚いているわけです。

しかし梅としては、春に若葉を出し、夏に太陽の光をいっぱいに浴びて栄養を蓄え、秋に葉を落として冬ごもりの準備をし、冬には寒苦との戦いを経ることによって春に美しい花を咲かせることになるわけで、咲いて当然なのです。

これが「自ずから然る」(自然)の意味でありましょう。ですから「自然に」とは「人間の力をかりずに」という意味ですが、しかし「自動的に」ということでは決してないのでありまして、梅で言えば、一年の着実な営みがあってのことであります。

しかし、ややもすると私たちは「自然に」を「自動的に」と誤って捉えているのではないでしょうか。

このような誤った感覚が温暖化といった環境破壊をもたらしているようにも思えます。もっと自然に触れ、心の重心を自然界に移して自然の営みに耳を傾けてはどうでしょう。(平成19年9月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。