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なるほど法話 海 潮 音      


自然 第12話  人間の脳    

 人間の脳は、五感からの入力情報を言語に変換して判断し、それをもとに出力情報を発信する機能をもったものですから、いわゆる「自分」(自己)に相当するものでありましょう。

この「自分」は、認識主体の働きをしますから、認識している世界の中心に「自分」を設定する癖をもっています。

たとえば、私たちは地球は球形であり、自転しているものであること(地動説)を知識としては知っていますが、感覚的には、太陽や月の方が東から昇り西に沈むという動きをするものであること(天動説)を疑いません。

これは錯覚であり誤りであることは証明済みのことではありましょうが、それでも私たちは誤って考えてしまうのです。

この誤りは何がもたらしているのでしょうか。それは、言語能力の獲得によって異常発達した人間の脳が持つ、自分を世界の中心に置きたがる癖がもたらしているといえましょう。

 同じことを道元禅師は、舟と岸の比喩を使って「人、舟にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる。目をしたしく舟につくれば、舟のすすむをしるがごとく、云々」(『正法眼蔵』現成公案)と述べておられます。

ここでも、人の乗っている舟が動いており、人が見ている岸は動かないのですが、見ている人には、乗っている舟は動かず、岸の方が動くように誤って見えるのです。

舟に乗っている人は、先ず、自分と岸との距離が時間とともに離れていることを認識します。

そのような認識は何にもとづくかと言えば、岸が動く場合と、舟が動く場合、それに、岸と舟とが共に動く場合とが考えられますが、認識を司っている脳は自分は世界の中心であり、常に中心であるから自分が動くことはありえないという考えを前提にしますので、「岸の方が動くのだ」という誤った結論を出すのだと考えられます。

言語能力の獲得によって異常発達した人間の脳とはこのような代物だということです。

ですから、人間の脳の見ている世界とは、言語を駆使するあまり自然から遊離してしまって、常に自分を世界の中心と考える認識機械が見るバーチャル世界に過ぎないということになりましょう。

 道元禅師の『普勧坐禅儀』に「すべからく言を尋ね語を逐ふの解行を休すべし。すべからく回光返照の退歩を学すべし」とあります。

「言語を駆使する脳は自己を世界の中心にすえる誤った理解をするが、そのような言語的理解を止め、言語でない智慧の光を自己にめぐらし当てて、自己が中心ではなく自然とともに移ろい動くものに過ぎないことを学ぶべきである」と理解できましょうか。(平成19年3月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。