なるほど法話 海 潮 音
生活 第39話 古里を歩く
朝、近くの菊が浜で日本海を眺めながら歩いています。朝は殆ど人気がなく、とてもすがすがしく歩けます。 日本海といえば荒波の水しぶきが飛び交い、とても寒そうで、その上寂しそうで、と思っておられる方も多いのではないかと思いますが、全くそんなことはありません。冬でも波一つない凪の日だってあるんです。実は荒波を見る方が珍しいくらいです。 そして海水もとってもきれいで透き通っています。萩の菊が浜は平成十八年(二〇〇六)に環境省が選定しました「快水浴場百選」(全国各地の百箇所の水浴場)にも入っています。そんな菊が浜でウオーキングができるのを恵まれているなあとつくづく思っています。 そしてまた、菊が浜には指月山があります。萩は阿武川の河口が三角州となり、そこに関ヶ原の戦い(一六〇〇年)で負けた毛利氏が入ってできた城下町です。 三角州の左の端にある海に突き出た半島全体が山でして指月山(しづきやま)といいます。「指月」は「しげつ」と読むべきで「しづき」と読めば重箱読(一字目を音読み、二字目を訓読み)で本当は間違いです。 毛利氏はこの指月山山麓に築城しました。自然の要害となっているからです。しかし築城以前にそこには指月山善福寺という臨済宗のお寺がありました。 明応四年(一四九五)に長門国住吉神社に奉納された百首の歌の中に「長門なる阿武の松ばらかきわけて志川きの山は何となるらん」というのがあります。昔は「しづきの山」と呼ばれていたようです。 その麓に善福寺が建立されたのですが、開山である翔天源騮禅師は山号の命名にはたと考えたようです。山名をそのまま山号にすればよいのですが、「しづきの山」では平仮名です。どんな漢字にするかが問題です。 そこで「指月」という言葉を思いついたようです。これは仏教用語でして経典を意味します。 真理を月に見立て、その存在を指し教えているのが指(経典)です。経典は真理を見るための手立てであって、指そのものを見ていても(経典に執われていては)意味がありません。これが禅の教えです。 善福寺の開山はこの「指月」を無理に「しづき」と読ませて「しづきの山」を「指月山」という漢字に換えたのでしょう。山号としては正しく「しげつざん」と読ませて「指月山善福寺」と命名したものと想像します。 そんな裏話を考えながら、毛利氏の築城によって伐採が禁じられ本来の自然植生が守られて、今なおシイやタブの木でもくもくとした美しい山を眺めつつ、そしてまた美しい海の水平線を遙かに見ながら歩いています。(平成三十年四月) |