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生活 第38話  佐藤初女さんのこと
     
 三月十二日、NHK教育テレビで放映された「追悼・佐藤初女さん・おむすびに込めた祈り」を見ました。

佐藤初女さんは、冬は弘前の御自宅で、春から秋は岩木山麓の「森のイスキア」で、長年にわたって、人生に悩み、助けを求める人たちに勇気を与え続けてこられた人として紹介されていました。

その佐藤さんが本年二月一日に亡くなられ、追悼として再放送された番組(初回放送は二〇〇二年三月三日)でした。

 佐藤さんは三十四歳で洗礼を受けたクリスチャンだそうですが、彼女の活動に本腰が入り始めたきっかけは、所属する教会の主任主宰ロベール・ヴァレー神父の「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴う。犠牲が伴わないものは真の奉仕ではない」という内容のお説教だったそうです。

教会からの帰り道で、じゃあ自分はどうすればいいのか、随分考えられたそうですが、「あ、心だ」と思ったそうです。

何もない自分だけれど心はいくら与えても尽きることはない。「心を与えよう」と思ったそうです。

以来、悩みを持って訪れた人には一時間でも二時間でも黙って話を聴いてあげたり、こころを込めた手作りの食事を出していっしょに食べ、食べながら話を聴いてあげたり、お弁当にとおむすびを握ってあげるときは、一粒一粒のご飯が息苦しくないように手のひらでやさしく握ってあげるのだそうです。

食の力はとても大きいものがあるそうで、相手が「美味しい」と思ったとき心が開くのだそうです。

自殺願望者が訪れた時には一人で寝させないで、同じ部屋にご自分も一緒に寝るのだそうです。

私などは、どうしてそこまで出来るのだろうかと不思議に思ったのですが、『佐藤初女さん、こころのメッセージ』(小原田泰久著)の中で佐藤さんの「どなたの中にも神様が宿っています」という言葉を発見しました。

佐藤さんはどなたが訪れてもその人の中に神様を見ていたようです。そしてご自身の中にも神様を見ていたのでしょう。

神様が神様をもてなす如くしておられたということなのでしょうか。

ヴァレー神父の「奉仕には犠牲が伴う」に通じる様にも思います。

キリスト教では「すべての人に神様は宿っている」と説いているのか私は知りませんが、仏教では「すべての人に仏が宿っている」(一切衆生に悉く仏性有り)と説いていますから、恐らく佐藤さんを訪ねる日本人なら、佐藤さんの心のこもったもてなしに宗教色など感じることなく包み込まれ、何かに気づかされて勇気をもらって帰って行かれるのでしょう。考えさせられました。 (平成二十八年四月)