なるほど法話 海 潮 音
生活 第35話 夏みかんの想い出
大学生の頃、五月に萩に帰ってくることはあまりなかったのですが、でもそんな機会に恵まれたとき、萩はいいなあと思ったものです。なぜなら、萩の町中が夏みかんの花の香りに包まれているからです。 私が学生の頃は小郡駅(現新山口駅)からバスに乗り換え、一路萩に向かいました。国道262号線を阿武川に沿ってひた走り、山あいが開けるともう萩です。 正面の遠くに指月山が見えてきます。この山が萩に帰る者を迎えてくれました。なつかしいですねえ。 でも今はこのルートをバスは通ってくれません。近い別ルートができたからです。 只今では山あいをくねくね走っている内に突然萩の町に入ってしまうのです。便利ではありますが、ちょっと残念な気もします。 昔は前方に指月山を見ながら徐々に萩の町に近づくのを感じました。そしてその時、バスの窓を開けると夏みかんの花の香りがサッと入ってくるのです。とてもいい感じでした。萩が一番光っている時期です。 今年はNHKの大河ドラマ「花燃ゆ」のお蔭で観光客も多目のようです。せっかく萩においでになるのであれば五月をお勧めします。 萩に夏みかんをもたらしたのは小幡高政だとされています。彼は萩藩の要職を歴任し、維新後は小倉県権令を努め、明治九年に帰郷して萩に住み、士族救済のため夏みかん栽培を奨励しました。 士族授産資金を活用して多数の苗木を士族に配り、萩を我が国最初の夏みかん集団栽培地としたとされています。 そのことと相まって萩の夏みかんが有名なのは萩が夏みかんの北限だからではないかと思います。 私が子供の頃、当山でも山に夏みかんを植えて厳しい時代を乗り越えようとしていたのを思い出します。 温暖化の今と違って昔は気温が低く、雪もよく降りました。みかんの蔕(付け根のところ)に雪が着くと、それが凍ってみかんが凍みるのです。 そうすると一銭にもならないために母たちがよく心配していました。三年に一度はそんなことがあったように思います。 そんなぎりぎりの状態だと、みかんはみかんなりに頑張ってくれるようです。自ら糖分をまして凍みるのを防ごうとするらしいのです。 こんなことが萩の夏みかんを味のよいものにしているのに違いありません。 維新後、窮地に落ちかけた士族を救わんがための小幡高政の努力といい、北限に植えられた夏みかん自身の生物学的努力といい、厳しい環境にあってこそいいものが生まれるのですね。 ぬるま湯にあっては何も生まれないことを、改めて肝に銘じておきたいと思っています。 (平成二十七年五月) |