なるほど法話 海 潮 音
           
生活 第32話  体を動かす
     
 約二千五百年前のお釈迦様の時代のインドは経済的に栄えた時代だったようです。

主な理由は既に鉄がインドに西から伝えられ、その鉄を使った斧で東インドの高温多雨の森林地帯を開墾し、そこで稲作が始められたためのようです。

お釈迦様が遊行(歩行の旅)による教化活動を展開されたのもこの東インドの各地でした。東インドでは既に多くの宗教者(沙門)が托鉢による修行生活をしていたようです。

この地域で托鉢なるものが起こった理由について学生時代に学んだことを思い出します。

まず高温多雨であったこと、次に稲作で民衆の生活が裕福であったこと、この二つです。

民衆たちは朝食にご飯を炊いて食べました。なるべく食べ切るように炊いたことでしょうが、余れば冷蔵庫などあるはずもなく、まして高温多雨です。午後になるともう臭くなり始めて食べられません。余れば捨てるしかなかったのです。

そこで遊行僧たちが、朝食が終わった時分に応量器という大きめの器を両手で持ち、経文を唱えながら民衆の居住地を歩きますと、余った朝食をその器に入れてくれるのです。これが托鉢です。捨てるしかない物をもらい集めて朝食としたわけです。

このような理由によるのでしょう。インド仏教の場合、一日の食事は午前中の一回に限られました。

 仏教が中国に伝わると様子が違ってきます。高温多雨でないことにもよるのでしょうが、中国には当初、托鉢の習慣がありませんでした。

そこで中国僧、特に禅僧たちは生産労働が禁止された仏教の戒律を犯してまで畑仕事をして自給自足の生活を始めたのです。この畑仕事を作務(生産労働)といいました。

その代わり遊行はせずに一寺に留まり、有名な高僧のいる大寺には何百という修行僧が集まったようです。

後にはインド以来の托鉢も中国・日本で行われるようになりましたが、特に禅宗では作務を重要な修行として重視しました。

禅宗独自の寺院生活規則(清規)を始めて制定した中国唐代の百丈懐海禅師は「一日作さざれば一日食らわず」という有名な言葉を残されています。

 私がする畑仕事はこのような高尚な理由によるのでは勿論ありませんが、体を動かすことは人間にとって生理的に必要なことだろうと思います。

古代人は自らの体を使って獲物を追っかけ生きてきたはずです。お釈迦様も一生涯、遊行生活をとおされました。一寺に留まった中国禅僧も戒律を犯してまで作務を始めました。

現代人も便利な文明の利器に与るだけでなく、敢えて体を動かしましょう。第一、体を動かし汗をかけば爽快です。(平成二十五年十月)