なるほど法話 海 潮 音
生活 第30話 豆まき
二月三日の節分の日に「豆まき」をされましたでしょうか。当山では山内の男が全員(住職・副住職・上の孫・下の孫の四人)集まってこれを執り行いました。 先ず、炒った大豆を升に入れ、これを韋駄天(伽藍の守護神)様にお供えし、夕方六時に韋駄天諷経をお唱えしてから、いよいよお待ちかねの豆まきです。 ところで、この「節分」とはどういうことかと調べてみますと、文字通り「季節を分けること」の意味で、各季節(春・夏・秋・冬)の始まりの日である立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日のことなんですんね。 しかし、季節の中で一番待ち遠しいのは春ではないでしょうか。私たちのそんな気持が立春を最も大切な節目とし、室町時代あたりから「節分」といえば「立春の前日」だけを指すようになったようです。 この節分に豆をまくというのはどういうことなのでしょうか。平安時代の日本では、季節の変わり目には邪気が入りやすいと考えられ、これを追い払うための「追儺」という儀式が朝廷で行われていました。この追儺という儀式のひとつに「豆打ち」という儀式が現在の「豆まき」の起源となったようです。 「豆」が使われた理由として、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という考え方があると同時に、読みが「魔滅」に通じることも重なっているようです。 ところで、スーパーで豆まき用の豆を買いますと鬼の面がおまけで付いている場合があるようです。「鬼」とは「隠」が変化したもので、隠れて人の目に見えないもの、すなわち「邪気」を意味しています。追い払われるべき目に見えない「邪気」を目に見える「鬼」として表しているわけですね。 豆まき用の豆は炒り豆でなければなりません。邪気を負って払い捨てられるべきものだからです。もし生の豆をまいて邪気を払ったとしても、その豆から芽が出たとしたらこまってしまうでしょう。 室町時代中期の臨済宗の禅僧である瑞渓周鳳(ずいけいしゅうほう)の日記『臥雲日件録』(一四四七年)にも「散熬豆因唱鬼外福内」(熬り豆を散ずるに因って、鬼は外、福は内と唱える)とあります。くれぐれも生の豆を撒かないようにしてください。勿論、山内でも炒り豆を用意して撒きました。 今年は一月二十四日に満二歳になったばかりの下の孫も参加しました。私が持つ升を背伸びして左手でグイと引き寄せ、右手を突っ込み、豆を小さな手にいっぱいにつかんで撒きました。五〇センチは飛んだでしょうか。そしてボソッと小さな声で言いました。「おにはそと!」。(平成二十五年三月) |