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生活 第29話  年頭挨拶

 二月号に「年頭挨拶」というのも変ですが、お許し下さい。

 元旦にご家族で「明けましておめでとうございます」という年頭挨拶をされましたでしょうか。

 「お正月」とは「正月休暇」を意味する昨今では、年頭挨拶などさらさら念頭にないと言うことかも知れません。変わった年頭挨拶をご紹介します。

 慶長五年(一六〇〇)に起こった関ヶ原の戦いで毛利輝元は西軍の総大将に祭り上げられました。

 これを心配した一門の吉川広家が徳川家康方に工作して「輝元が手を出さなければ毛利家が持っている領土は安堵する」という密約を得ましたが、東軍の家康が大勝すると、西軍の中から輝元の命令状が沢山出てきたという言いがかり的罪で罰せられ、百十二万石から防長二州の二十九万石(後に三十六万石)に削封されました。

 毛利家はこれを恨みに恨み二百数十年間忘れませんでした。これが毛利家の年頭挨拶に現れているのです。

 毛利家では「御小座敷の儀」という毎年元旦に行われる儀式がありました(時山弥八編『もりのしげり』大正五年刊)。

 その儀式では、年賀に登城した家臣の代表が藩主に申し上げる年頭挨拶は「殿、関東征伐は!」であったといいます。これに対して藩主は「いや、まだその時期ではあるまいぞ!」と返しました。

 これを二百六十年間も毎年繰り返し、幕末にいたって毛利家十三代藩主毛利敬親は「よし、今年は徳川を討とう」と答えて討幕戦争が始まったと伝えられます。

 毛利家の執念の深さを感じると同時に、年頭挨拶の持つ意義深さも感じます。

 我が家でも毎年元旦の朝に家族一同が書院に集まり、お寺ですから男は衣を身につけ、女はそれなりに正装し、中央上座に住職が座り、その他はそれぞれ決まった座に正座して神妙に構えます。

 住職の次の座に座った者から座を立ち、下座中央に移動して住職に向かい、「明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年も宜しくお願いいたします。」と挨拶します。

 うちとけた家族がこのときは異常に神妙になり、重たい視線を一身に受けて、覚えた挨拶をなめらかにいわなければなりません。子供の頃はこれができずにいやな思いをしたのを思い出します。

 四歳の上の孫はこれをきっちりこなしました。後で知ったのですが、孫は挨拶の前にトイレに行ったようで、母親である娘が探しに行ったところ、トイレから大きな声で挨拶の練習をする声が聞こえたそうです。

 元旦に「明けましておめでとうございます」と言おうが言うまいがどうでもいいじゃないか、ではなかろうと思った次第です。(平成二十五年二月)