なるほど法話 海 潮 音
生活 第28話 食の安全と安心
古代から中世にかけて我が国では「穢」の観念が猛威をふるいました。 穢の中でも最も強烈な「死穢」について考えますと、たとえば、古代の天皇のような権力者の死は、それに関わって生きている貴族にとって、自らの生活基盤を破壊するあってはならない重大な出来事となります。 そのような権力者の死に対する強烈な不安と恐怖の念がその死を忌避する余り「穢」という社会的な観念として貴族社会を中心に定着し、庶民にも及んだもののようです。 死の前提である病に対して医学のない古代・中世では対処法は祈祷でした。従って死の穢の対極にいなければならない祈祷僧は「清らかさ」(死穢に触れていないこと)が求められ、もし死穢に触れると三十日の謹慎(職務停止)となったのです。 実は当時の正規の僧(官僧)はいずれも天皇・貴族に対する祈祷を職務としていましたので、死穢に触れないことが第一の義務でした。ですから天皇などの葬式以外は葬式をしなかったのです。 庶民は自分たちの葬式をしてくれる僧がいなかったので、死ぬと「野捨て」(死体遺棄)にされたのです。 家族の死穢はやむを得ないとしても、使用人の死穢はごめん蒙りたいとばかり、死穢が発生しない瀕死のうちに野捨てにされました。異常な社会だったと言えましょう。 福島第一原発事故での放射能漏れによる食品の安全に対して似たような過剰反応が起こっています。 政府は四月一日にそれまでの暫定規制値(1s当たり500ベクレル)を欧米諸国よりも厳しい新基準値(1s当たり100ベクレル)に改めたのですが、それを機に流通業者が独自に更に厳しい基準を設け、安全を保証する意図で測定値を食品に明記する動きに出ました。 すると消費者(特に子供を持つ若い母親)は「0ベクレル食品=安心食品」であるかの如く、「測定値6ベクレル/1s」と明記したばかりに、人気食品の売れ行きがガタ落ちしたとのことです。 更には国の新基準値(1s当たり100ベクレル)をクリアーした被災地農家の野菜が敬遠され、弱者の立場に立たされている被災地を更に苦しめているとの報道です。 このような混乱の最大の原因は、当初の政府の不審を招く行動(情報隠しや曖昧基準)にあるとは思いますが、消費者の側も冷静さが求められましょう。 ましてそのことが被災地を苦しめることになるようでは加害者呼ばわりされても仕方ないかも知れません。 国・流通業者・生産者側は「安全」を主張し、消費者は「安心」を求めますが、数字のない「安心」はとかく過剰となる危険があると言えましょう。(平成二十四年五月) |