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なるほど法話 海 潮 音      


生活 第24話  涙   



 三歳と六ヶ月の二人の孫がいます。道路と畑を隔てた離れに住んでいますが、泣き声がよく聞こえます。特に三歳の啓君はこれでもかと言わんばかりに近所中に聞こえる声で大泣きます。

一体、泣くという行為にはどんな意味があるのでしょうか。東邦大学医学部教授の有田秀穂さんの『育脳の技術―ストレスに負けない脳を育てる―』(主婦と生活社)にその解説がありました。

まず涙の解説です。人間には三種類の涙があるそうです。一つは、基礎分泌の涙(目を保護するための潤しの涙)。二つ目は、反射の涙(目に入った異物を流し出すための涙)。三つ目は、情動の涙(肉体的、精神的ストレス〈不快〉からくる涙。悔し涙、悲しい涙、感動の涙など)。

三番目の涙は人間だけが流せる涙なのだそうで、この涙が問題なのです。

啓君が大声で泣くのは、まだうまく言葉で表現できないため、「泣く」という方法で自分のストレス(不快)を理解してもらい、解消してもらおうとしているようです。

だんだん成長し十分に言葉で気持を伝えられるようになれば、大声で泣くこともなくなるでしょう。

ところが、この「泣いて涙を流す」という行為には、言葉が不十分だからということとは別に、生理学的にある重大な意味が隠されているようです。

と申しますのは、人間だけが流せる第三の「情動の涙」を流しますと、脳の中で最も人間らしさを司る前頭前野が活発に働き、脳がストレス状態からリラックス状態にスイッチングされるのだそうです。

啓君も涙を流して大泣きするのは、不快を親に訴えているだけでなく、生理的にストレスを解消していることにもなっているようです。

中学生ぐらいになると幼児期のような泣き方はしませんが、悔し涙や悲しい涙を流します。これは自分の感情を抑えきれなくなって、自分の中で気持を処理する(ストレスを解消する)ために涙を流すのだそうです。

大人はどうでしょう。人に向かって何かを訴えて泣くことは勿論、人前で流す悔し涙さえ許されないでしょう。人前で許されるのは「感動の涙」だけだということです。「なでしこジャパン」が世界一になった日、多くの人が感動の涙を流したのではないでしょうか。

私はもう一つ大人にも許される涙があるように思います。肉親や愛する人を亡くしたときに流す涙です。この涙こそ脳の中でストレスを解消する最大の涙ではないでしょうか。

大切な人が亡くなったとき、人前であろうと何であろうと大いに泣いてください。そのような場を提供することこそ、私たち僧侶の仕事であろうとも思っています。 (平成二十三年八月)

音声読み上げ機能については、日本アイ・ビー・エムの「ボイスらんど」のページ(http://www.ibm.com/jp/voiceland/)をご覧ください。