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なるほど法話 海 潮 音      


生活 第 2 話  カタナカ語    

最近の印刷物にはカタカナ表記の言葉があふれています。不用意にカタカナを使ってもらってはこまるという投書も読んだことがあるように思いますが、コンピュ―タ―関係の世界では九割以上の用語がカタカナですから、まるで文法だけが日本語といった感じです。

ところで、カタカナ語は、外国語(主に英語)の単語の意味を無視して発音だけを日本語の文字で表したものですから音写語と言えます。したがって、現代の日本語にカタカナ語があふれているということは、音写語が氾濫しているということになるでしょう。

以前では、音写語であるカタカナ語の使用にはエキゾチックな雰囲気を出すためということもあったでしょうが、現在では、外来語が余りにも多すぎるため、それをいちいち訳しているとかえって混乱を起こしかねないという状態です。

実は、千数百年前の中国でも同じようなことが起こったように思います。というのは、紀元一、二世紀のころから数世紀にわたってインドから中国へ仏教が伝えられたときのことです。

仏典の翻訳にあたってインド語(サンスクリット)が漢語に翻訳されました。そのときにかなりの重要な仏教用語が意味を訳さず発音だけを漢字に写すということが行われました。よく知られている例だけをあげても、閻魔・和尚・伽藍・娑婆・舎利・旦那・塔婆・涅槃・比丘・菩薩・菩提・盆・羅漢などがあります。

日本人は仮名文字(表音文字)を発明しましたので、発音だけを写す場合は仮名文字を使いますが、中国には漢字(表意文字)しかありませんので、同じ漢字が音写のときにも使われたのです。また、「菩提」(bodhi)は老荘思想の「道」という言葉で訳されたこともありましたが、かえって意味内容の混乱をきたすため「菩提」とい音写語が定着しました。

千数百年前、仏教思想が中国を覆い尽くした如く、現代の日本は西洋文化の洪水の中にあると言うことなのでしょう。 (平成10年9月)


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